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「自然災害伝承碑」を掲載しています

更新日:2022年3月9日 ページID:038103

自然災害伝承碑とは

 「自然災害伝承碑」とは、過去に発生した地震、津波、洪水、土砂災害、高潮、火山災害等の自然災害に関する事柄(災害の様相や被害の状況など)が記載されている石碑やモニュメントです。
 「自然災害伝承碑」の情報を「地理院地図」に掲載することで、過去の自然災害の教訓を地域の方々に適切にお伝えするとともに、教訓を踏まえた的確な防災行動による被害の軽減を目指しています。
※「地理院地図」のURLはこちら(新しいウィンドウで開きます)

地理院地図に掲載されている長崎市内の自然災害伝承碑

碑名 所在地 碑文内容
大水害慰霊塔 川平町

昭和57年(1982)7月23日の猛烈な豪雨による上流の山崩れと流水により、この地に住む34名の尊い命が一瞬のうちに奪われる大惨事となった。ここに殉難者の霊を慰め、二度と災害を繰り返さぬよう後世に伝え残すためこの碑を建立する。

長崎大水害慰霊碑 鳴滝二丁目 昭和57年(1982)7月23日、午後5時過ぎ100ミリ前後の雷を伴う猛烈な集中豪雨が襲い、この鳴滝地区でも物凄い土石流が発生し、23名の死者と1名が行方不明になるなど、尊い命が一瞬に奪われた。亡くなられた方々の御霊を敬うとともに、二度とこのような災害を繰り返さぬよう後世に語り伝えるため碑を建立する。
長崎大水害碑 矢上町 昭和57年(1982)7月23日、午後5時過ぎから集中豪雨が襲い、東長崎地区各地で鉄砲水、土石流が発生し、矢上地区では死者34名、家屋の全半壊163戸、床上浸水814戸農林・水産等も甚大な被害を受け、かつてない大惨事となった。大水害10周年にあたり、碑を建立し後世に伝えるものである。
長崎大水害碑 界二丁目 午後5時頃より降り始めた雨は一日降水量448ミリに達し、わが国観測史上驚異的な降水量を記録した。日見地区では、36人の尊い人命と巨額の財産を一夜に奪ったこの大水害、昭和57年(1982)7月23日をけっして忘れてはならない。ここに犠牲者の御冥福を祈り、再びこのような災禍を繰り返さないよう祈念する。

水害復興と友好の記念碑

魚の町 昭和57年(1982)7月23日、長崎の街は想像を絶する集中豪雨により死者・行方不明者262名の大惨事となり、中島川石橋群も6橋が流失し、3橋が半壊した。この碑は、中島川に石橋を架けるなどゆかりの深い中国に依頼し制作した記念碑で、像は中国の少年と日本の少女が力を合わせて、風雨を呼ぶ龍を従わせている姿を表している。
長崎大水害記念碑 船石町 緑の古里として知られた船石町は、昭和57年(1982)7月23日、集中豪雨により水の海と化して、死者3名、家屋流失7戸、全半壊12戸等、道路も全線不通となるなど多大の被害を蒙った。このような中、若き命を人命救助に投じた方々に哀悼の意を表し、全地域の被害者にお悔やみを申し上げる。
長崎大水害記念塔 浜町 昭和57年(1982年)7月23日の集中豪雨で、この思案橋跡の地点での水位は1.57mに達し、人も車も物もすべてが濁流の底に消えていった。そのような中でも、市民は復興に立ち上がり、思案橋の街も明るさを取り戻した。塔飾りは、大水害復興の心意気を讃えるため、未来に向かって海に向かう御朱印船を配している。



長崎市内にある自然災害伝承碑の情報を募集しています

 「地理院地図」に掲載されていない長崎市内にある「自然災害伝承碑」の情報を御存知の方は、次のとおり情報提供をお願いします。
 なお、「地理院地図」への掲載は、「自然災害伝承碑」に係る土地所有者と管理者の承諾が必要であるため、提供いただいた情報がすべて掲載されるわけではありません。

 ● 提供方法
    防災危機管理室( bousai@city.nagasaki.lg.jp  )あて下記様式によりメールで送信してください。
 ● 提供様式
       自然災害伝承碑情報提供書 

お問い合わせ先

防災危機管理室 

電話番号:095-822-0480

ファックス番号:095-820-0108

住所:〒850-8685 長崎市魚の町4-1(7階)

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