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更新日:2013年3月1日 ページID:005166
一九三一年九月一八日の柳条溝事件事件を契機とする日中戦争、一九四一年十二月八日 の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争など、この十五年にわたる戦争によって三一〇万人の日 本人、数千万のアジアと世界の民衆の尊い生命が奪われた。 この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した。
私たちは長崎で亡くなった、これらすべての外国人戦争犠牲者、遠くアウシュヴィッツ強制 収容所で殉難したコルベ神父らを追悼し、再びこのような惨劇をくり返さぬよう、核兵器 廃絶、人類不戦の誓いをこめて、内外から広く浄財を募り、ここにこの碑を建立する。
一九八一年十二月八日
太平洋戦争開始四十周年の日に
外国人戦争犠牲者追悼碑建立委員会
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