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更新日:2013年3月1日 ページID:005169
昭和二十年八月九日午前十一時二分長崎は摂氏三千度を超える熱線、秒速五百米の爆風、炎うずまく地獄の中に、人も家も焼きつくされました。
あの日、多くの建設労働者職人は、徴用で狩り出され、街の強制疎開の建物撤去作業や魚雷艇づくりなどに強制就労させられるなかで、尊い生命を奪われました。
あの苦しみ、あの怒り、あの悲しみを私達は、決して忘れることはできません。そして、世界のいかなる国のいかなる人類の上にも二度と繰り返させてはなりません。
被爆四十三年、今ここに全国の建設労働者職人の総意により、原爆殉教者を慰霊し、平和と核廃絶のため闘う証として、不戦平和の塔を建立いたしました。
御魂よ、安らかにお眠りください。
長崎県建設産業労働組合 全国建設労働組合総連合 昭和六三年八月八日
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