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更新日:2013年3月1日 ページID:005172
1979年(昭和54年)8月9日
昭和42年7月10日長崎市大浦元町1、誠孝院地下納骨堂に安置されていた朝鮮人被爆者の遺骨 153(納骨箱38個)を岡正治氏が発見した。この遺骨は、朝鮮人連盟が保管していたが、昭和24年 9月同連盟が団体等規正令により解散指定団体となり、朝鮮人連盟の財産が没収された際、同時に没収された。その後大音寺に預けられ、さらには昭和27年3月6日誠孝院へ移管保管されていたが、昭和43年8月さらに深堀円城寺に預けられた。
昭和48年11月13日遺骨は木浦に送還された。以上の経過の中で岡正治氏は、昭和43年6月朝鮮人原爆死殉難碑納骨堂建設委員会を結成し、募金を開始したが、その後、昭和54年3月「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」建設委員会が結成され納骨堂建設委員会は解散した。
同年7月12日追悼碑建設を決議、急遽募金運動を再開し、8月9日午前7時30分除幕式挙行の運びとなった。
毎年8月9日午前7時30分、追悼早朝集会(無宗教)を挙行している。(長崎在日朝鮮人の人権を守る会)
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