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更新日:2022年12月16日 ページID:005179
昭和二十年八月九日。原子爆弾の却火とすさまじい爆風は、一瞬にして長崎 の北部一帯を廃墟と化し、十四万有余の市民を殺傷した。さながら地獄のごとき様相は、 核兵器の恐るべき脅威を示すものであった。この日家にいた国民学校児童五千八百余、 報国隊として工場に出動していた千九百余の生徒たちは、百有余の教師と共に即死、ま たは放射能によりつぎつぎと尊い生命を奪われた。
年を経るに従い、この悲惨な事実が忘れ去られることは忍び難く、県内外の教職員 及び有志の協力により、亡きみ霊の安らかならんことを祈念し、再びかかる惨禍をく り返さぬことを誓い、ここにこの像を建立するものである。
昭和57年8月3日
人の命が尊ばれますように
世界が平和でありますように
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