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長崎と鯨

更新日:2022年10月17日 ページID:005681

長崎県下では、平戸市のつぐめの鼻遺跡から鯨の捕獲や解体に使った石器や、対馬市の佐賀貝塚から鯨の骨で作った道具が出土するなど、鯨との関係は縄文時代から始まっています。
江戸時代の長崎県下は、当時の古式捕鯨の中心地であり、壱岐、対馬、五島、平戸の各地に漁場が点在し、多くの鯨組(捕鯨を行う組織)が操業していました。捕鯨業は江戸時代最大の産業であり、沿岸住民に多くの雇用を生み出したため、「くじら一頭で七浦が潤う」と言われる程でした。
長崎市における近代捕鯨の歴史は、明治30年長崎市在住の英国人貿易商F・リンガーらが英・露人組合を結成し、捕鯨を行ったのを始めとし、その後も松森栄三郎、山野辺左右吉、林包明、原信一、吉田増太郎らが、組織を作って五島近海等で捕鯨を行っておりました。
鯨は地域経済を潤すだけでなく、祭りや食文化など、長崎市民の生活に密着したもので、長崎くんちの万屋町「鯨の潮吹き」、郷(さと)くんちの小ヶ倉町「鯨舟」などが有名で、今なお伝統的に受け継がれています。
また、鯨重(鯨の料理を揃えたおせち料理を入れた重箱)や鯨雑煮、鯨皮のなますなど、独自の食文化を継承しています。

鯨の潮吹き
長崎市万屋町“鯨の潮吹き”
鯨舟
長崎市小ヶ倉町“鯨舟”
 

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