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更新日:2013年3月1日 ページID:006354
中の茶屋は、丸山(寄合町)の遊女屋「中の筑後屋」が、江戸時代中期に茶屋を設けていたところで、当時長崎に居た唐人が千歳窩(せんざいわ)と名付け、この名に因んで別名を「千代の宿」とも呼ばれました。
中の茶屋は、花月楼と共に丸山最好の茶屋として、長崎ばかりでなく他郷の人々にも知られ、内外の文人墨客が好んで遊び親しみ、長崎奉行の市中巡検の際にはその休憩所にあてられることもありました。幕末期にできた俚謡「長崎ぶらぶら節」には、「遊びに行くなら 花月か中の茶屋 梅園裏門たたいて 丸山ぶうらぶら ぶらりぶらりと いうたもんだいちゅう」と読み込まれています。
江戸時代中期に築かれた庭園として、市内寺院のものを除けば、数少ない遺跡の一つであり、昭和51年7月20日に長崎市の史跡に指定されました。
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