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更新日:2022年3月31日 ページID:023279
江戸時代、いわゆる「鎖国」政策がとられた中でも、長崎では出島を通じてオランダと、唐人屋敷を通じて中国と貿易を行っていました。
長崎にもたらされた大量の砂糖は船で大坂まで運ばれ、全国に流通しましたが、長崎から佐賀を通って小倉へと続く「長崎街道」は、九州藩の長崎警備や参勤交代、オランダ商館長の江戸参府など、様々な人やモノが往来する街道として栄えました。街道沿道は砂糖のほか、菓子作りの技法なども入手しやすかったため、長崎カステラを始め、全国的にも有名な名菓が生まれるのです。
南蛮から伝わった菓子は、それまでの和菓子とは違い、砂糖をふんだんに使うもの。この伝来により、菓子の世界に革命が起こり、長崎街道を中心に、砂糖文化が各地の文化と風土を取り入れ、個性ある味と花開きました。そのため長崎街道は、砂糖の道「シュガーロード」とも呼ばれており、今なおその技術と味は受け継がれています。
そのシュガーロードの歴史と文化を活かし、西九州一体の地域の活性化を目指して、2008年、長崎街道「シュガーロード連絡協議会」が設立されました。現在、3県(長崎、佐賀、福岡)の8市(長崎市、諫早市、大村市、嬉野市、小城市、佐賀市、飯塚市、北九州市)が加入しており、シュガーロードに関する情報の交換やPRなどを行なっています。
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