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更新日:2024年5月23日 ページID:004956
1546年にできた港町です。サンパウロ州にあり、人口約43.4万人。風光明媚で年中海水浴が楽しめる古い街として、屈指の観光地としても知られています。また、ペレやネイマールといった偉大なサッカー選手がプレーした地としても有名です。 主な産業は、貿易、観光、水産業で、特にコーヒーの輸出港として有名で、海をもたない隣国パラグアイの自由貿易港です。
夏は高温多湿ですが、冬は青空が広がる過ごしやすい気候です。
長崎と同時期に、ポルトガル船の来航により貿易港として開かれ、 わが国第一回南米移住者781名も上陸した港町。
本県出身の移住者やサンパウロ州議員からの申し入れで結ばれた。
(1972年(昭和47年)3月11日に長崎市議会全員協議会で承認、1971年(昭和46年)12月、サントス市議会で決議)
時期 |
主な交流状況 |
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1972年(S47) |
クロヴィス・バンディラ市長一行が来崎し、姉妹都市提携締結。 |
1974年(S49) |
サッカーの神様ペレ選手(当時サントスFC所属)が寄贈したペレ杯を記念して、第1回ペレ杯争奪少年サッカー大会を開催。(以降、毎年開催) |
1977年(S52) |
大橋から如己堂前浦上天主堂に至る通りを「サントス通り」と命名。 |
1982年(S57) |
ブラジル日語学校少年少女交歓親善使節団一行が来崎。長崎大学附属中学校と交歓会を実施。 |
1988年(S63) |
サントス市が平和公園へ平和モニュメント「平和の碑」を寄贈。 |
1990年(H2) |
「長崎旅博覧会」にサンバチームを招聘。 |
1991年(H3) |
サントス市で長崎原爆展を開催。 |
1992年 (H4) |
コデスピ広場の西側の位置に設置された公園を「長崎広場」と命名。 |
2007年(H19) |
姉妹都市提携35周年記念し長崎市内で巡回パネル展を開催。 |
2010年(H22) |
サントス市でブラジル長崎県人会やサントス日本人会が中心となって第1回核兵器廃絶平和記念式典を開催。(以降、毎年8月9日に開催) |
2012年(H24) |
姉妹都市提携40周年を記念し、長崎市少年サッカーチームなどがサントス市を訪問しサントスFCユースと交流。 |
2014年(H26) |
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2015年(H27) |
サントス市が平和首長会議のブラジル9都市のリーダー都市に就任。 |
2016年(H28) |
路面電車・龍がサントス港到着。パウロ・バルボサ市長臨席のもとサントス市での路面電車・龍のお披露目会開催。 |
2018年(H30) |
サントス市職員ロドリゴ・リマ・マシャドさんが自治体職員協力交流事業(LGOTP)で来日し、長崎市で研修を受けるとともに、小中学校などでの講座で、サントス市やブラジルを紹介。 |
2019年 (R1) |
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2022年 (R4) |
姉妹都市提携50周年を記念しオンライン交流会を開催。 |
2023年(R5) | 姉妹都市学生招待事業でサントス市の青少年2名が来崎。 |
1546年ポルトガル貴族のBras Cubasにより創立され、1889年にサントス市となります。
19世紀頃から、コーヒーの出港地として街は発展してきました。
1908年に、日本からの最初の移民が到着したのがサントス港。日本以外にも、ヨーロッパ諸国からの移民もサントス港から入国しました。
コーヒーの出港地、そして観光地として有名です。
ビーチの向かいにあるこのガーデンは長さが5,335メートルもあり、世界最大のビーチ フロント ガーデンとして2005年ギネスに登録されました。
ブラジル独立100周年でもある1922年に開設されたコロニアル風のこの建物では、かつて出荷用コーヒーの選別と取引が行われていました。
その後、電子取引が主流になり、取引所は閉鎖の危機に直面します。しかし、ブラジルのコーヒーの歴史において重要なこの建物を保存する動きが活発になり、1997年に博物館として開館しました。
Palacio da Bolsa Oficial de Cafe
Rua XV de Novembro no 95, Centro
CEP:11.010-151 Santos / SP
Tel./Fax:+ 13 32195585
Museu do Café . Santos (SP)(ポルトガル語のみ)(新しいウィンドウで開きます)
サントスFC(Santos Futebol Clube)
「サッカーの王様」と称えられるペレが所属していたサッカーのクラブチーム、サントスFCの本拠地としても有名です。
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