ヘハクトバレンとスタンポット
長崎の文化はよく「和華蘭」と例えられます。和は日本、華は中国、そして蘭はオランダ。この三つの文化が混ざり解け合っていることを表現しています。寺町には江戸期の寺々が建ち並び、唐館があった館内町近辺には土人堂や孔子廟が点在し、外国人居留地があった大浦付近には教会や洋館が今でも現存している。まさに和華蘭ですね。今度は、食文化という視点から和華蘭を見てみましょう。和の「和食」はもちろんのこと、華の「中華」は長崎中華街があり、ご存知「チャンポン」「皿うどん」など長崎人の常食としてしっかり根付いています。蘭のオランダ料理はというと…。そうなのです、料理名が周知されるかたちでは残っていないのです。
長崎の名物料理にオランダ・メニューがないのは寂しい限り。そこでナガジンでは、新オランダ料理の開発を試みることにしました。インターネットでリサーチした結果、第1回目のメニューは「ヘハクトバル」と「スタンポット」「エルテンスープ」に決定。すべてオランダ人の一般的な家庭料理で、現在も日常的に食べられています。レシピはネットで検索すればあちこちにあり、簡単に再現することはできます。しかしながら、その味は本当にオランダ人が普段食べているものと「まったく同じなのかどうかについては判断がつきません。そこで助っ人を頼むことにしました。大村出身で、現在はオランダ人のご主人とアムステルダム郊外に暮らしている松本恵美さんです。5月にご主人、ハウトマン・マールテンさんと一緒に来崎するということでしたので、こちらで用意した3品を試食していただく、という試みです。
オランダ在住のマールテンさん恵美さん夫妻
マールテンさんは、ライデン大学日本語学科在学中に長崎に1年間留学の経験があるそうですね。
<マールテン> ハウステンボスの社員寮に住みながら、日本語学科の授業を週四日受けて、残りの二日はハウステンボスでアルバイトしていました。
日本食はどうでしたか、魚料理とか。
<マールテン> 慣れるまでちょっと時間がかかりましたね。オランダでも揚げた魚は食べてはいましたけれど。
<恵美> オランダでは魚は一般的にはそんなに食べないんです。フィッシュ&チップスじゃないけど、スナック的に食べる感じですね。
<マールテン> ニシンの塩漬けは美味しいけど。
<恵美> そのまま爪楊枝で食べるか、あるいは手でしっぽを持って。生のタマネギと合わせたり、パンに挟んで食べることもありますね。
町中の屋台で買って、ニシンのしっぽを摘んで食べるシーンをテレビでよく観ますね。長崎でも時期によっては食べられる洋食店がありますよ。
<恵美> 味が違うかもしれませんね。オランダのは、サバもそうですけどすごく油が乗っていて、私には少しキツいんです。
サバとはどうやって食べるんですか?
<恵美> 燻製ですね。オランダ人はパンに挟んで食べますけど。私たちはご飯のお供に食べています。
マールテンさんも普段からご飯を食べるんですね。
<恵美> この人は何料理でも食べますけど、オランダ人は昔っぽい人が多くて、365日同じものしか食べない人も多いんです。例えば、彼のお兄さんも、決まったものしか絶対に食べない。
「決まったもの」ってどういう料理ですか。
<恵美> 「肉」「ジャガイモ」「豆」などを毎日毎日。
マールテンさんが小さかったころ、実家では、いわゆるオランダ料理を食べられていたんですよね。
<恵美> お母さんが、よくスタンポットを作っていますね。
<マールテン> 典型的なオランダ人の家では、かなり頻繁にヘハクトバルやスタンポットは食べられています。
日本における肉じゃがみたいなものですか?
<恵美> それ以上というか、家族が集まると必ずといってよいほどヘハクトバルとスタンポットですね。
<マールテン> 僕の父の得意料理ですよ。
お父さん、お料理されるんですね。
<恵美> オランダはスーパーに行っても男性がかなり多いです。料理とか買い物は女性がするものだ、というような概念がないんです。
スタンポット
<材料(3人分)>
ジャガイモ 500g
エスカロール・アンディーブ(エンダイブ) 300g
塩 小さじ1
ベーコン 50g
塩コショウ 適量
ナツメグ 適量
バター 適量
生クリーム 適量
牛乳 適量
<作り方>
1 ジャガイモを茹でておく
2 エスカロール・アンティーブは千切り
3 ベーコンは焼いて細切り
4 1を木ベラでつぶしながら、ベーコンと野菜を加え味を整える。
今回、調理は南山手にありますホテル「セトレ グラバーズハウス長崎」の料理長をされている中村直人さんにお願いして作っていただきました。最初にスタンポットを試食していただきたいと思います。料理長、お願いいたします。
<料理長> マッシュしたジャガイモに、レシピ通り「エンダイブ」を入れました。
エンダイブというのはどういう野菜なんでしょうか。
<料理長> ヨーロッパ原産の苦みが強い野菜ですね。
<マールテン> バターと牛乳は入っていますか。
<料理長> 入ってます。日本のマッシュポテトは、裏ごししてバターと生クリームと牛乳で調理するのが一般的ですが、オランダではどうですか。
<恵美> 歯ごたえを残すために、裏ごししない方がオランダっぽいですね。エンダイブは最後に混ぜて、余熱で軽く火を通す程度にします。だから食感がパリッとしてます。それと、これはオランダ人の友人から習ったんですけど、ジャガイモ茹でるときにブイヨンも入れたりしますね。
<マールテン> その辺は人それぞれ、家庭で味が違うんですよ。
日本のポテトサラダって野菜は少量ですよね。キュウリとニンジンが色味付けのために入っている感じですが、スタンポットは見るからに葉ものの野菜の量がとても多いですね。エンダイブは沢山いれるんですか?
<恵美> けっこう入ってますね。この濃い緑の野菜はなんですか?
<料理長> ほうれん草です。
<マールテン> オランダでほうれん草が入っているスタンポットはあんまりないですね。それとベーコンもそんなに入っていません。スタンポット自体はあまり味がないんですよ。ソースを付けて食べるものだから。
<恵美> オランダの家庭では、ジャガイモ5キロとか使って寸胴鍋で大量につくるんですよ。
<マールテン> うん、一度に三日分くらい作りますね。(食べてみて)うん、やっぱり、ほうれん草とベーコンの味が強いです。見た目も、これはほうれん草の緑が強いけど、エンダイブが中心になるからもっと全体が黄緑色です。
スタンポットはオランダの伝統料理とききました。
<恵美> そうですね。ただしジャガイモは結構「最近」の食材ですので、ジャガイモがヨーロッパで一般に流通する以前は他の根菜、特にパースニップを使っていたようですよ。
初めて聞く名前の野菜です。
<恵美> オランダ語だとパスティナークと呼びますが、今でも市場で売られています。食べてみると美味しいのですが、日常的に食べる人は少ないみたいですね。
ヘハクトバレン
<材料(3人分)>
牛ひき肉 700g
豚ひき肉 300g
タマネギ 1個
卵 2個
ケチャップマニス 適量
塩コショウ 適量
ソース
トマトピューレ
ケチャップマニス
バター
水
<作り方>
1 牛豚のひき肉に「タマネギみじん切り」「卵」「ケチャップマニス」「塩コショウ」を加えよく混ぜる。
2 300~320gの大きさに丸める
3 鍋にバターを多めに加えミートボールを焼き、ソースと水、ピューレで20~30分煮込む。
ヘハクトバレンは歴史のある料理みたいですね。
現存する文献で確認できる範囲では、1615年にヘハクトバレンと思われるひき肉料理が確認できました。
ということは、出島でも食べられていた可能性がありますね。出島の厨房を描いた絵があります。この中でオランダ人たちが6人で肉を切っているのですが、この内2人は両手に包丁を持っていて、肉を細切りにしているように見えます。もしかしたらヘハクトバレンを調理していたのかもしれません。
因みに「gehakt」(ヘハクト) はひき肉、「bal」(バル) はボールです。これは1個が巨大なため、普通の人は1個以上食べられないので作る時点では複数形の「ballen」(バレン)、食べる時点やメニュー表では単数形のbal (バル)になります。
ではヘハクトバレンの、いや食べる時なので単数系の「ヘハクトバル」ですね。ではヘハクトバルの試食をお願いします。
<マールテン> これは大きい方ですね。我が家ではこれを70パーセント縮小したくらいかな。
ヘハクトバレンの大きさに驚くマールテンさん
<料理長> ひき肉320グラムで、中にタマネギとケチャップマニスも入れました。
ケチャップマニスというのはどういう調味料なんでしょうか。
<料理長> インドネシアの調味料で、ちょっと甘い、砂糖醤油のような味ですね。
<恵美> 私たちもオランダから持ってきました。これがオランダで一番メジャーなケチャップマニスです。後で、味をくらべてみましょうか。
ケチャップマニスを見るマールテンさん
ケチャップマニス
<料理長> ケチャップマニスは、ヘハクトバレンの中にも練りこんでます。あとソースの中にも入れました。
<マールテン> オランダでは、特別ヘハクトバレン用にソースはつくらないんです。肉団子をバターと水で長く煮込む事で肉汁が出て、それがソースになる。
<料理長> ああ、グレイビーソースですね。
<マールテン> 今かかっているソースはなんですか。
<料理長> トマトピューレとケチャップマニス、グレイビーソースでつくったソースです。
<マールテン> 確かに我が家でもケチャップをつけたりすることもあるけど、それだと日本の煮込みハンバーグの味と同じになってしまうかもしれませんね。
<恵美> オランダは、もうほとんどグレイビーソースだけです。
<マールテン> ヘハクトバレンは柔らかいね、食感がフワッとしてる。
本場はもっと硬いですか。
<恵美> オランダのは、もっと硬くて歯ごたえがありますね。合い挽きの割合はどのくらいですか。
<料理長> 7:3です。
<恵美> じゃあ、一緒です。ラスクは使っていますか。
<料理長> 甘くないラスクが手に入らなかったので、今回はパン粉で代用しました。
<恵美> それで柔らかいのかもしれませんね。
<マールテン> 煮込み時間はどのくらいですか。
<料理長> 20分くらいです。
<マールテン> オランダでは一時間くらい煮込んで、中の肉汁を出し切ります。
<料理長> 肉中の油分を出してしまうのですね。
<恵美> スタンポットと同じで、ヘハクトバレンも大きな鍋で大量につくるから、出てくる肉汁もかなり多いんです。それが美味しいソースになる。
<料理長> なるほど、ソースを肉汁でつくる。ローストビーフのグレイビーソースと感覚が一緒ですね。
因みに、ヘハクトバレンに合わせるお酒は何でしょう。ワインですか、それともビール。
<恵美> ヘハクトバレンでお酒は飲みませんね。オランダ人は、夕方にみんなで集まって話をしながら飲んで、ディナーの時は、料理だけを食べるという感じです。
エルテンスープ
盛りつけたエルテンスープ
<材料(3人分)>
グリーン・スプリット・ピー(レンズ豆) 500g
水 1L
ジャガイモ 1個
ニンジン 1本
タマネギ 1個
セロリ 1束
ローリエ 1枚
スモークハム 1枚
塩コショウ 適量
バター 適量
<作り方>
1 ニンジン・タマネギ・セロリをバターで炒める
2 水を加えジャガイモとグリーン・スプリット・ピー(レンズ豆)を加え40~50分煮込む。(一晩置くと濃度が強くなりもったりとする)。
エルテン・スープの試食をお願いします。
<料理長> レンズ豆とタマネギ人参セロリをベースで、ジャガイモを茹でて、50分くらい炊いています。濃度的にはもっとドロドロですか。
<恵美> もっとドロドロですね。レンズ豆の粒が見えないくらいに煮詰めて、飲むというよりは、食べるという感じですね。オランダではジャガイモではなくて、セロリの根で作ります。その効果もあって、よりドロドロになるんです。
<料理長> なるほど、根セロリですか。
日本ではあんまり使われない素材ですか?
<料理長> フランス料理でよく使う素材ですね。これまでは、注文して空輸してもらってということが多かったんですが、最近はそういう西洋野菜を専門でつくる農家さんもいらっしゃいますね。長崎はまだ少ないですけど、関西では結構います。
<恵美> 根セロリは独特の味がする野菜で、冬の寒い時に食べますね、とっても身体が温まるんです。
<マールテン> これでどのくらい煮込んでいますか。
<料理長> トータル1時間くらいです。
<恵美> オランダではぶつ切りのソーセージを一緒に煮込むので、肉の味がもっと強いですね。
<マールテン> かなり長く煮込んでいると思います。ソーセージの味がすごくするから。
<恵美> それと食感がもっとホクホクしていますね。多分それは根セロリの効果だと思います。
<マールテン> うん、確かにオランダのは、根セロリの味がもっと強いですね。
<恵美> 時々、焼いたパンがスープに刺さってたりしますよ。
サイドメニューというよりは、もうそれだけで完結する料理なんですね。
<マールテン> オランダのスーパーにいくと、エルテンスープ・セットが売っていますよ。あらかじめ根セロリや人ニンジンなどがセットになっていて、それにソーセージを追加するんです。
日本の七草粥セットと同じですね。
ヘハクトバレン&スタンポットの食べ方
それにしてもスタンポットの量がすごいですね。日本でポテトサラダだけこんなに食べることはないです。
<恵美> スタンポットは「サラダ」という感覚ではないんですよ。それにオランダのは、もっと葉ものの分量が多いですし。たくさん食べれますよ。
ライスとサラダが一緒になったような感じですね。
<マールテン> 僕が好きな食べ方は、スタンポットの真ん中に穴をつくって、そこにグレイビーソースを注ぐ。それを少しずつ混ぜながら食べるのが好きなんです。
なんか砂場で遊んでいるみたい。楽しい食べ方ですね。
<マールテン> そう、穴をあけるのがね。レストランで出す時にそうすると面白いかもしれませんね。
恵美さんもそうやって食べるのですか。
<恵美> 私はしませんけど(笑) 家族がそうやって食べているのを見ています。そういえば、今回はスタンポットの脇にヘハクトバルが添えてありますけど、平たく敷いたスタンポットのちょうど真ん中にヘハクトバルが「ドン」って乗っているパターンもありますよ。
ということは真ん中に乗っているヘハクトバルをどけると、そこに穴があいているはずだから、そこにマールテンさん風にグレイビーソースを注ぐといいですね。
<マールテン> あくまでも僕の家庭での話だから、みんながそうしているとは限らないけどね(笑) 最初にヘハクトバルをナイフでサイコロの大きさに切り分けてしまって、後はフォークだけ使って食べるんです。
<恵美> そこにグレイビーソースをたっぷりかけて。
<マールテン> そう。これは柔らかくてジューシーだけど、オランダのはもっと硬くてパサパサしているでしょ。長時間煮込んで、もうそんなに肉汁が抜けた状態だからグレイビーソースをかけるんです。
<料理長> 肉自体には、あんまり味がしないってことですね。
<恵美> そうですね、肉の素材の味だけで。塩味が足りなければケチャップマニスをかけて味を調整したりします。
ヘハクトバルとスタンポット両方にグレイビーソースをかけて食べるんですね。
<恵美> そうです。オランダ人は自分の皿の上で、ヘハクトバルとスタンポットにグレイビーソースをかけて、それを混ぜながら食べるんです。味が足りない人はケチャップマニスを加えてまたかき混ぜて。オランダ人はなんでも混ぜて食べるのが好きですね。
<マールテン> みんながいきなり混ぜてしまうわけではないですよ。最初はヘハクトバルとスタンポットを別々に食べて、徐々に混ぜていくパターンもある。
もしも長崎のレストランでこのメニューを出す場合には、食べ方も一緒に伝えたいですね。「穴をあけて」というところも。よりリアルにオランダの家庭料理を体験してもらいたい。
<恵美> それだったら、お皿も純オランダにしたいですね。オランダの家庭で使う典型的なのがあるんですけど、おばあちゃん家にある感じ。それに入れたらもう完璧ですね。
<マールテン> この柄で一式あるんです。平皿はもちろん、グレイビーいれる容器もあれば鍋もある。我が家でもお客さんがきたときには、鉄の鍋からこっちに入れ替えて食卓に出しています。
オランダ伝統の食器
料理長は、実際に調理してみていかがでしたか。
<料理長> 本場オランダのかたから直接、調理法や食材についてお話をお伺いすることができて、とても勉強になりました。お伺いした内容を活かしてセトレグラバーズハウス長崎でもより本場に近いオランダ料理をお客様に提供していきたいと思います。
あれっ、マールテンさん320グラム食べきりましたね。
<恵美> 日本にきて和食ばかりだったから、洋食を食べたかったんでしょう。
<マールテン> うん、オランダの味とは少し違ったけれどとても美味しかったです。ごちそうさまでした。
ヘハクトバレンを食べるマールテンさん
書籍やネットで探せば、世界中のあらゆる料理のレシピを知ることができます。レシピ通りに作りさえすれば、その味を体験でき、その国の食文化を理解できると思っていました。しかし今回の試食会で、細かいディテールの部分、例えばヘハクトバレンを「長時間煮込んで、あえて硬くパサパサにする」ことや、スタンポットの「中央に穴をあけてソースを注ぐ」こと、エルテン・スープは「飲物というよりは食べ物という感覚である」ことなど、一緒に食べて話を聞かなければ分らないことがたくさんあると痛感しました。本場の味に近づけることは容易ではないのです。ある程度食材が揃う現在でさえそうなのですから、鎖国時代の出島ではもっと大変だったことでしょう。限られた食材と調味料で、西洋料理を知らない日本人が、オランダ人と一緒になって調理していたのですから。おそらく本場の味とは「少々」違っていたのではないでしょうか。この少々違った味こそが、長崎オリジナルの「和華蘭の味」と言うこともできるかもしれません。
はっきりとした正解がわからない新長崎メニュー開発計画ですが、これからもチャレンジを続けたいと思います。
さて、来年の春開催予定の「オランダ料理をつくってみた」ですが、再びマールテンさん、恵美さんご夫婦に協力をお願いして「オランダ・スィーツ」に挑戦する予定です。どうぞお楽しみに!
盛りつけたヘハクトバレン&スタンポット