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★足を伸ばして 権現山展望台(野母)〜正瑞寺(しょうずいじ)(高浜) |
帰路は、今来た道を戻るのではなく、野母崎半島を一周するべく左手に樺島を望みながら、車を西海岸へと走らせよう。左目に島々を眺めながら進んでいくと、野母崎半島の西先端に近づいてきた。突端にある高い山は権現山。 |
越中先生
「東シナ海を見渡せる権現山には、かつて狼煙をあげる狼煙場があり、主に白旗を翻して外国船の入港を知らせたといわれています。他にもその旗を見て次々に旗を振り、長崎奉行所までリレーのように知らせていったんですよ。今は展望公園になっていますね。」 |
権現山展望台からはうっとりする程美しい眺めが楽しめる。 |

<権現山展望台> |

<権現山からの眺め> |
越中先生
「端島の沖にある瀬を三瀬と言います。これより右が長崎、これより左が平戸、当時この三瀬を目印に外国船は入ってきていたんですね。船員さん達は“三瀬が見えたらホッとした”と言っていたそうですよ。」 |
しばらく進み高浜バス停辺りから小さな川沿いを左に入ると、正瑞寺(しょうずいじ)、金徳寺(こんとくじ)に辿り着く。
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<正瑞寺> |
越中先生
「この正瑞寺は、江戸時代に深堀地区を治めていた深掘氏ゆかりのお寺です。鎌倉時代、深堀氏は交通の要地であった高浜にやって来たんです。そして、金徳寺のある場所に居館を構え、この正瑞寺を菩提寺にしたんですよ。この深堀氏にまつわる
“深掘系図証文”は、佐賀の県立図書館に残されています。深掘氏が鎌倉時代末期、戸八ヶ浦に関東より下向してきたから来ましたよ、という証文が残っているんですね。そしてこのお寺にはその写本があり、市の文化財に指定されています。また、このお寺には室町時代の墓も残っているんですよ。中国明様式の地蔵立像は表情も写実風で、胸部や後頭部が肉感的なことで有名でこれも市の指定文化財ですよ。この地蔵立像が祀られている観音堂の背後の高台には室町時代の墓碑があります。」 |

<室町時代の墓碑> |

<正瑞寺の地蔵立像> |
今年1月に新たに長崎市に加わった野母崎エリア。これまでは主に海水浴場や、漁場、ドライブコースとしての印象が先立っていたエリアだが、実は長崎の市街地が栄える随分以前から日本の交通の要地として栄えた町だったのだ。歴史を知り、また古くから続く長崎市街地との関わりを知ったうえでこの町を訪れると、漂う香りや目に映る風景が今までとは少しだけ違って感じられるんじゃないだろうか。 |