今年の夏、原爆投下から70周年を迎える長崎のまち。原爆が落下した中心エリアである浦上界隈は、原爆の爪痕と同時に平和への願いがあふれているスポットです。昭和37年(1962)、原爆落下中心地や平和祈念像の建つ平和公園に隣接した山里町と本尾町の一部が「平和町」となりました。この町名は、この地が平和都市長崎の中心として繁栄していくことへの願い、そのものです。
原爆の歴史に触れる場所として、多くの皆さんが訪れる場所は平和公園でしょう。この園内に、平和都市長崎の象徴的モニュメント、世界平和の願いを込め、製作された平和祈念像があります。長崎県出身の彫刻家である北村西望(せいぼう)氏作のこの祈念碑は青銅製の男子裸体像。高さ9.7m、台座3.9m、重さは、なんと30tもあります。原爆犠牲者の冥福と世界平和を祈念し、昭和26年に着工、30年8月8日、10年目の原爆記念日前日に除幕式を行いました。訪れた多くの方が、祈念像がすべてフレームに入る位置でシャッターを押しがちですが、ぜひ、もっと近づいてみてください。正面に立つと一瞬その巨大さに圧倒されますが、とても穏やかな顔立ちをされているんですよ。この祈念像に平和への祈りを捧げたらぜひ後方へ。祈念像の後には、作者・北村西望氏の言葉が直筆で刻まれています。
平和の泉
平和祈念像作者の言葉
あの悪夢のような戦争
身の毛のよだつ凄絶悲惨
肉親を人の子を
かえり見るさえ堪えがたい眞情
誰か平和を祈らずにいられよう
茲に全世界平和運動の先駆として
此平和祈念像が誕生した
山の如き聖哲それは逞しい男性の健康美
全長三十二尺餘
右手は原爆を示し 左は平和を
顔は戦争犠牲者の冥福を祈る
是人種を超越した人間
時に佛時に神
長崎始まって最大の英断と情熱
今や人類最高の希望の象徴
昭和三十年 春日 北村西望
平和祈念像の建設費は3000万円。その財源のすべては、一般に募った寄付金、浄財で建設されました。遠く南米、北米、ハワイ、タイ等、海外にも協力を仰ぎ、国内では、全国の高等学校、中学校、小学校の教職員と生徒たちにより、「一円拠出運動」も行われたといいます。
原爆の恐ろしさを目の当たりにした被爆者の方々は、9年を経てなお原子病を発病して死んで行く人々の姿を見聞するに至り、いつ同じ運命が自分の上にも降りかかってくるかも知れないと不安な日々を過ごされました。
「二度と戦争は起こってはならない。これからは原爆の体験のない人々に訴えて、人類を永遠に、原爆の惨禍から救わねばならない」
その悲願から、誰の口からともなく「平和は長崎から!」という言葉が生まれ、多くの人々の心を動かしたのです。
人生の喜び
未来の世代を守る像
また、平和公園一帯には、世界14ヶ国から贈られた記念碑が建てられています。チェコスロバキア社会主義共和国の「人生の喜び」は、小さな子どもを抱え上げ見つめる母の姿、ソヴィエト社会主義共和国連邦の「平和」は無邪気な仕草の子どもを膝にのせ、しっかりと抱く母の姿、イタリア・ビストイア市の「人生への讃歌」もまた、我が子を両手で自分の頭上に抱え上げた母の姿。そして、オランダ・ミデルブルフ市の「未来の世代を守る像」。これは母親が幼い子どもを危険から守っている姿。各国それぞれ平和への願いが込められたモニュメントを見渡すと“母と子”をモチーフにしたものがとても多いことに気づきます。世界中の人々が平和を実感するには、次の世代の誕生、その子どもたちの未来を守ることが大切なのだと、これらのモニュメントが教えてくれます。
人生への讃歌
平和
年々、生存する戦争体験者、被爆者が減少していく中で、今を生きる多くの人々が戦争、原爆についての事実を知り、「平和」を願う伝承者でありたいものです。観光客の方には、平和公園および、その周辺一帯に建つ様々な記念碑のひとつひとつにも目を向け、「長崎の祈り」を捉えてほしいと願っています。
【平和公園】