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日見地域センター(日見の史蹟)No.55~No.59

更新日:2016年1月25日 ページID:028001

日見地域センター(日見の史蹟)No.55~No.59

※ 出典・・・『日見の史蹟等(発行:日見地区公民館運営協力委員会)』から抜粋

史蹟地図1~8

55 恵比寿神社(えびすじんじゃ)

場所 長崎市網場町1番地 船津浦組(天満神社2の鳥居脇・奥に小崎・古賀浦の日見村編入記念碑がある。)

由緒及び沿革 恵比寿様は、船津の3地区(崎組・中組・浦組)にそれぞれ一体ずつ祀っている。お祭りは同じ期日に行っている。

55恵比寿神社

56 天満神社(てんまんじんじゃ)

場所 長崎市網場町1番地(天満神社バス停前)

由緒及び沿革 網場町一番地の橘湾、雲仙の勇姿を見渡す波静かな入江の丘に位置する。平安朝時代一流の文人政治家であった菅原道真公を祭神とする。天満神社は京都の北野大神、大宰府天満宮を筆頭に全国一万数社を超えるといわれている。社地は旧日見村社として(約6700平方メートル)正殿、拝殿、木造建築、江戸初期以降の常夜燈、鳥居、神牛の石造美術がある。境内には社殿を囲んで椎の木の大木を主として、楠、アラカシ、カヤ、ヤマモモ、カブノキ、ヤブツバキ等の温交林がうっそうと繁り立ち、太古の面影を守り伝えている。しかし、平成3年(1991)の台風9号、12号により、倒木多数に至ったが、平成4年(1992)2月氏子総代により、楠、桜、モミジ、梅等を2百数十本補植、現在に至っている。

56網場天満神社

57 船津地蔵(ふなつじぞう)

場所 長崎市網場町193(天満神社南東側県道脇)

由緒及び沿革 享保(きょうほう)5年(1720)建立。船津念仏講中、女人講の地蔵が備えられている。

57船津地蔵

58 集霊碑(しゅうれいひ)

場所 長崎市網場町206(天満神社南東側県道脇・船津地蔵となり)

由緒及び沿革 台風通過で暴風雨と高波に襲われ、網場海岸も大被害をこうむった。遺骨等を弔い、以後の安全を祈願して集霊碑を建てた。海岸に漂着した遺体や、水害の時流れたりした墓等の骨を集めて祀ってある。大正3年(1914)8月建立、平成3年(1991)9月現在地に移転。

58集霊碑

59 観音さま(かんのんさま)

場所 長崎市網場町1 (天満神社東南面下・県道脇)

由緒及び沿革 不明 石仏4体

59観音さま

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東総合事務所 日見地域センター 

電話番号:095-838-3104

ファックス番号:095-834-0004

住所:〒851-0122 長崎市界2丁目1番19号

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