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更新日:2016年3月30日 ページID:000512
(しーぼるとたくあと)
大正11年10月12日
長崎市鳴滝2丁目
出島に医官として来航したシーボルトの名声を慕って集まる学徒や診療希望者が多かったので、長崎奉行は鳴滝に塾舎をかまえ、出張教授することを許した。その宅跡である。ここからは幕末に蘭医として活躍した吉雄幸戴(よしおこうさい)・楢林栄建(ならばやしえいけん)・同宗建・戸塚静海(とつかせいかい)・伊東玄朴(いとうげんぼく)・高良斎(こうのりょうさい)・高野長英・石井宗謙・伊藤圭介・二宮敬作(にのみやけいさく)・美馬順三(みまじゅんぞう)、岡研介(おかけんかい)、伊東昇廸(いとうしょうてき)ら英才が輩出された。
当時の建物は、明治7年(1874)大風で大破し、既に腐朽が甚しかったので、明治27年(1894)に解体された。
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