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更新日:2013年3月1日 ページID:000519
(ほんごうちほうきょういんとう)
指定年月日 昭和50年3月10日
所在地 長崎市本河内2丁目1番
この本河内宝篋印塔は、文化8年(1811)、本篭町住の薬種商中村盛右衛門仲凞・嘉右衛門茂済父子か造塔施主となり、肥後の人豪潮が建てた供養塔である。豪潮は大願を立て全国に2千基の塔を建てたという。豪潮塔といわれるものである。笠の隅飾(すみかざり)が華麗であり、蓮座(れんざ)の下にさらに第二の塔身がある。いずれの種子も重厚である。長崎市内には清水寺・禅林寺・春徳寺に現存するが、この塔はその中で最大のものである。なお県内には平戸の最教寺・野母崎の観音寺に1基ずつある。
備考
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