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更新日:2013年3月1日 ページID:000520
(からかねとう)
指定年月日 昭和50年3月10日
所在地 長崎市本河内1丁目19番
この塔は宝篋印塔の形式の供養塔である。享保6年(1721)閏7月夜半大雷雨、大洪水があり、溺死者・流失家屋・破損家屋・流失した橋等多数にのぼる大災害があった。この時当地に滞在していた下野国(現在の栃木県鹿沼村の一部)安蘇郡粕尾村出身の木食僧観心が発願主となり、今紺屋町(現在の長崎市魚の町・麹屋町・諏訪町の一部)・中紺屋町(現在の長崎市魚の町・麹屋町・諏訪町の一部)の町民が援助して財を募り、8月6日この塔1基を建て死者の冥福を祈った。鋳造は、鍛冶屋町住の鋳物師安山弥兵衛尉国久である。歴代安山氏中最も業績があった鋳造家であり、安山家の最盛期の作品であると考えられる。
露天に建立された青銅製宝篋印塔は全国的にも珍しく、長崎鋳物師の業績として高く評価されてよい。
備考
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(補足)地図は目的地周辺の概ねの位置を示しています
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