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更新日:2013年3月1日 ページID:000521
(いちのせむえんとう)
指定年月日 昭和50年12月5日
所在地 長崎市本河内2丁目1番
寛文2年(1662)長崎に痘瘡(とうそう)が流行し、死者2,318人に及び、特に嬰児の夭折が多かった。この時長崎総町が崇福寺の唐僧即非に偈を請い、その法子唐僧化林(けりん)・碧崖(へきがい)・曇璲(どんすい)らが経を写した塔を、この年の7月15日一の瀬街道に建てた。なお、四面の上部にはめてあった銅像の内の地蔵菩薩像が昭和29年(1954)に盗難にあったので残る三面の釈迦如来・阿弥陀如来・観音菩薩の銅像は取りはずして長崎歴史文化博物館に保管し、現在は代替像を安置している。
長崎の過去に天然痘の流行があったこと、それで死んだ子どもたちのために長崎総町をあげてこれを悲しみ供養したことなど、先人のゆかしい心がけが偲ばれる。
備考
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