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高島秋帆旧宅

更新日:2022年6月7日 ページID:000524

高島秋帆旧宅

(たかしましゅうはんきゅうたく)

【お知らせ】入口にある石塀の補修工事を行います


この度、高島秋帆旧宅の入口(階段上)にある石塀の老朽化に伴い、
以下日程にて応急の補修工事を実施します。
〔期間 2022年6月7日(火)~2022/6/30(木)〕

今回の工事にて補修完了ではないため、
補修完了の目途は追って、お知らせいたします。

また工事中も通常どおり見学は可能ですが、
工事現場周辺には近づかないようお願いいたします。


国指定史跡

高島秋帆旧宅

指定年月日 大正11年10月12日

所在地 長崎市東小島町5番38号

秋帆の父、町年寄高島四郎兵衛茂紀(たかしましろうべえしげのり)が文化3年(1806)現在地に別邸を建て、雨声楼(うせいろう)・齢松軒(れいしょうけん)等と呼ばれた。
秋帆は父の没後町年寄を継ぎ、また長崎表御取締(ながさきおもておとりしまり)も命じられていた。天保9年(1838)の大火で、大村町(現在の万才町)の高島邸が類焼したので、以後この別邸が使われた。秋帆は荻野(おぎの)流砲術を父に学び、オランダから銃砲を購入し、併せて西洋砲術を研究し、わが国兵制改革の急務を幕府に上申した。天保12年(1841)5月武州徳丸原(現在の東京都板橋区高島平))で洋式の訓練を実施し、幕府から褒賞を受けたが、天保13年無実の罪で捕えられ、12年後釈放された。国防に尽したが、慶応2年(1866)68才で没。雨声楼は原爆で大破し破却された。

備考

地図検索(新しいウィンドウで開きます)

路面電車「崇福寺」、バス「崇福寺入口」下車徒歩5分

お問い合わせ先

文化観光部 文化財課 

電話番号:095-829-1193

ファックス番号:095-829-1219

住所:〒850-8685 長崎市魚の町4-1(14階)

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