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更新日:2021年10月27日 ページID:000535
(でじまおらんだしょうかんあと)
大正11年10月12日
長崎市出島町
出島は来舶ポルトガル人を居住させるために海中を埋築し、寛永13年(1636)完成した。寛永14年島原の乱が起こり同16年(1639)幕府はポルトガル人を渡航禁止にした。これにより出島は空家となった。
そこで寛永18年(1641)平戸のオランダ商館をここに移した。以来、安政の開国まで約220年間、出島は阿蘭陀屋敷(おらんだやしき)と呼ばれた。出島のオランダ商館では、この地を通じて日本とヨーロッパを結ぶ経済・文化の交流がおこなわれ、日本の近代化に果たした功績は大きい。
島内にはオランダ商館員の居宅・倉庫等数十棟が建ち、家畜を飼い、珍しい植物が植えられていた。
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