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更新日:2013年3月1日 ページID:000553
(ごかんのはか)
昭和49年3月8日
長崎市深堀町5丁目401番地 菩提寺そば
續室浄連居士(林氏五官呉公)寛永14年(1637)6月19日没の墓である。「菩提寺世代伝」の三代一翁芳純(いちおうほうじゅん)の伝によると、 芳純(慶長2~正保4:1597~1647在住)は長崎に渡来した唐人を教化し、その寄進を得て諸堂を造立したとある。明人の五官呉公は明の喜宗帝(1621~27)手製の十六羅漢刺繍の九条の袈裟を喜捨(きしゃ)し、 現在の墓地付近の土地を買い、没後祠堂料として、この土地を寄付した。この辺りをかつて唐人街と呼んでいたという。この墓は一般に五官の墓と呼ばれるが、華南系の墓地の様式をよく遺している。石碑表面には墓碑銘があったのだが、風化が進んで判然としない。
喜捨…喜んで寺に寄進し、または貧しい人に施しをすること。
長崎バス「深堀」下車、徒歩10分
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