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更新日:2013年3月1日 ページID:000568
(ひがしやまてじゅうにばんかん)
指定年月日 平成10年12月25日
所在地 長崎市東山手町3番7号
東山手の12番地は安政6年(1859)に造成された旧外国人居留地の一画で、幕末から明治初期にかけてはアメリカ人ウォルシュが借地していた。
この地に立つ東山手十二番館は、明治元年(1868)の建設と推定される初期洋風建築の代表例で、東山手地区では現存最古の遺構である。直前まではプロシア領事館であったが、新築後はロシア領事館となっていたことが判明している。その後、アメリカ領事館、宣教師の住宅などとして使用され、昭和16年(1941)に学校法人活水学院に譲渡、同51年(1976)に建物が長崎市に寄贈された。
正面側の3面に及ぶ幅広のベランダをもつ主屋(しゅおく)と、背後の附属屋および別棟からなる堂々たる構えで、中廊下型の平面構成も当時の領事館建築の特徴をよく示す。外壁の下見板張(したみいたば)りは国内で最古の事例でもある。
全面吹放(ふきはな)ちとした床下の造りやベランダ列柱(れっちゅう)の上部に付く円弧形の刳(く)り抜き装飾をもつ板状の持送(もちおく)りは珍しい。
備考
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