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更新日:2013年3月1日 ページID:000587
(こうたいじのむかいけぼち)
指定年月日 平成11年4月30日
所在地 長崎市寺町 晧臺寺後山墓地
長崎向井家は長崎聖堂の創始者で祭酒(さいしゅ)を勤めた向井元升(むかいげんしょう)の三男元成(げんせい)が、貞享2年(1685)中国からの輸入書物中にイエズス会司祭が漢訳した禁書に価するものを発見した功により以後譜代(ふだい)の書物改役(あらためやく)を世襲した家系である。元成は延宝8年(1680)より立山聖堂の祭酒を勤めた。兄去来(元淵)とともに芭蕉に師事、魯町(ろちょう)の俳号をもつ。
向井家墓地には4基の墓碑があり、うち元成の墓碑は儒式馬鬣封(じゅしきばひんふう)元升の兄嘉兵衛の三男道悦(どうえつ)の墓は両部神道時代の形式をもつ墓碑で、極めて稀な例として文化的価値が高いものである。
備考
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