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更新日:2013年3月1日 ページID:000596
指定年月日 平成16年6月3日
所在地 長崎市坂本1丁目2番 坂本国際墓地
トーマス・ブレイク・グラバーは安政6年(1859)長崎に渡来、文久元年(1861)グラバー商会を設立し貿易業を営み、造船、炭鉱、製茶事業などを手がけ、日本近代化の進展に貢献した。一方で、武器、弾薬、戦艦などの販売を通じて薩長土藩を支援し、幕末から維新の政治情勢に深く関わった。明治30年(1897)以後は東京に移り、同44年(1911)死去した。遺体は同地で荼毘(だび)に付された後、同年12月長崎での葬儀が行われた。ここには明治32年(1899)大浦太平寺に葬られた妻ツルの分骨も合葬されている。その隣には「倉場家之墓」と刻された墓碑が建っており、第二次大戦終結直後の昭和20年(1945)8月26日に自死した長男倉場富三郎(くらばとみさぶろう)と、昭和18年(1943)に死去した妻ワカとが埋葬されている。倉場富三郎は長崎の名士として活躍し、日本で初めてのトロール漁の事業を行ったほか、日本四大魚譜の一つに数えられる『日本西部及び南部魚類図譜』(俗に言われる『グラバー魚譜』)を作製した。
備考
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