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更新日:2013年3月1日 ページID:000622
(こうやぎとおみばんしょあと)
平成17年8月22日
長崎市香焼町1805番地 遠見山
遠見番所は、来航する外国船を監視し、その情報を長崎奉行所に連絡するための施設であった。長崎における遠見番は、寛永(かんえい)16年(1639)のポルトガルとの国交断絶後に制度化された。白帆注進(しらほちゅうしん)とも呼ばれた遠見番による連絡は、天領長崎のほか佐賀藩も自領の要所に遠見番所を設置し、互いにその連絡の速度を競ったという。佐賀藩の連絡ルートは、脇岬村銅山山頂から高島、伊王島、香焼の各番所を経て浦五島町(現在の五島町)の深堀屋敷、さらには大黒町の佐賀屋敷へと中継するものであった。本番所跡は石垣等の遺構がよく残されており、当時の遠見番所の規模等が確認できる数少ない遺跡のひとつとして貴重である。
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