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更新日:2021年10月27日 ページID:000624
(きよみずでらほんどう)
指定年月日 平成22年12月24日
所在地 長崎市鍛冶屋町8番43号
崇福寺大雄宝殿の建立を一手寄進した唐商何(が)高材(こうざい)は、寛文6年(1666)69歳にして妻(日本人)を亡くし、その年榎津町(現在の長崎市万屋町と鍛冶屋町の一部)の木橋を石造アーチ橋に改架した(寛政7年(1795)崩流)。また息子の兆晋(ちょうしん)・兆有(ちょうゆう)と共にこの清水寺本堂の建立も寄進し、寛文8年(1668)10月に落成した。亡妻亡母の供養のためであったといわれる。
黄檗(おうばく)天井・平垂木(ひらたるき)等黄檗寺院建築様式が混入しているのは何父子が建立に関係したためと考えてよかろう。唐商は航海安全祈願の意味で観音信仰が深く、当寺は本尊が千手観音であったからここにも寄進したのであろうが、唐寺(とうでら)以外の寺院建築の黄檗様式混入は珍しい。
備考
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路面電車「崇福寺」下車徒歩約8分
バス「崇福寺入口」下車徒歩8分
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