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更新日:2021年10月27日 ページID:000663
(そうふくじだいゆうほうでん)
指定年月日 昭和28年3月31日
所在地 長崎市鍛冶屋町7番5号
福州出身の在留唐人が中心となって、福州から僧超然を招き創立した寺。釈迦(大雄)を本尊とする大雄宝殿は、大檀越(有力な財物施与者)何高材の寄進により、中国で切組み唐船で運び正保3年(1646)上梁建立された。当初は単層屋根(たんそうやね)。35~6年後の延宝天和の頃、外観重層を付加し現在の姿となった。下層部分は軒回りの逆凝宝珠束(ぎゃくぎぼしづか)の持送りや、前廊部分が俗に黄檗(おうばく)天井と呼ばれるアーチ型の天井であるなど、中国建築様式であるのに対して、上層部の建築細部様式は和様を基調とし、しかも両者は違和感なく調和している。この上層部の意匠は福済寺大雄宝殿(原爆焼失)のそれに類似する。
備考
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