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更新日:2021年10月27日 ページID:000667
(そうふくじごほうどう)
指定年月日 明治43年8月29日
所在地 長崎市鍛冶屋町7番5号
長崎の福済寺(原爆焼失)・聖福寺・宇治の黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)には天王殿があり、弥勤(布袋)と韋駄天が背中合わせに置かれ、左右を通り抜ける門の形式を有し、大雄宝殿の前に配置する。これは黄檗寺院の特徴の一つである。当寺のこの堂は韋駄天を祀り、柱割りも天王殿形式に類似するが、背面を壁にして普通の仏殿となっているのは、地形の関係上門にできなかったからであろう。大梁(おおばり)下面の墨書(ぼくしょ)により享保16年(1731)の建立と知る。
柱上部の籐巻(とうまき)・挿肘木(さしひじき)・扇垂木(だるき)・半扉(はんとびら)・黄檗(おうばく)天井などに黄檗様式があり、柱礎石の彫刻模様も中国工匠の作と思われるが、妻飾(つまかざ)りは和様で日本人工匠の参加が看取される。
備考
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