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更新日:2021年10月27日 ページID:000669
(そうふくじまそもん)
指定年月日 昭和47年5月15日
所在地 長崎市鍛冶屋町7番5号
媽祖堂の前にあり、大雄宝殿と方丈(ほうじょう)玄関をつなぐ渡廊下を兼ねた巧みな配置になっている。現在の媽祖門(媽祖堂門)は文政10年(1827)再建されたもの。媽祖は、ぼさ(菩薩)ともいい、ぼさ門とも呼ばれる。八脚門(はきゃくもん)3間3戸形式で、扉の前面は黄檗(おうばく)天井、背面は山形天井。木割が大きく、外観は雄大。細部に僅かの塗料を用いるほかすべて素木(しらき)のままとし、建築様式は大体和様が基調である。興福寺媽祖堂には門がなく、福済寺では観音堂が媽祖堂にあたるが、これには門があった。聖福寺及び宇治の黄檗山萬福寺(まんぷくじ)には媽祖堂がない。媽祖堂の門というのは、その意味でも数少ない遺例である。
備考
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