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更新日:2021年10月27日 ページID:000672
(そうふくじのれんがく)
指定年月日 昭和35年7月13日
所在地 長崎市鍛冶屋町7番5号
対句を分けて左右の柱に掛けたのか柱聯(ちゅうれん)で、中国では一般の民家にもこの風習がある。門や室内に掲げた額が扁額(へんがく)であり、あわせて聯額という。黄檗(おうばく)寺院には特に多く、黄檗山萬福寺の聯額はほとんど国の重要文化財に指定されている。崇福寺の聯額では、隠元(いんげん)禅師、即非(そくひ)禅師、千獃(せんがい)禅師が書いたものが県指定有形文化財となっている。江戸時代に流行した唐様(からよう)の書風の源流と言えるもので、長崎着任の長崎奉行は早速にこの写しを差出させた。大田直次郎(蜀山人)などは非常に興味を示している。即非禅師の楷書は宇治の黄檗山でも見られないものである。明暦元年(1655)から元禄8年(1695)までの書と推定。
備考
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