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更新日:2013年3月1日 ページID:000679
指定年月日 昭和47年5月15日
所在地 長崎市南山手町8番1号 グラバー園敷地内
タスカン風列柱(れっちゅう)のベランダ中央に切妻(きりづま)屋根のぺディメントを持つポーチがあり、軒高の高い堂々たる偉容で、幕末明治期洋館遺構中の最も秀でた建物である。英人技師の設計と思われる平面図が、天草切支丹(キリシタン)館(天草市)に遺っている。英人オルトはお茶の輸出で巨利を得、自分でも製茶業に手を染めたが、彼の退去後、明治12年(1879)12月に創立された活水女学校が同15年(1882)まで仮校舎に使用した。のちF・リンガーの長男のフレデリック・エラスマス・エドワード・リンガーが昭和15年(1940)2月56歳で没するまで、この邸に住んでいたので、リンガー(兄)邸とも呼ばれた。
備考
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