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更新日:2021年10月27日 ページID:000684
(とうそうぎょっこうのはか)
指定年月日 昭和53年12月20日
所在地 長崎市鍛冶屋町崇福寺墓域内
崖に嵌(は)め込みの形をした珍しい型式の墓碑で、 この点は福済寺の唐僧墓地に似ているが、この玉岡の墓は更に前方に半円形の石壁が出て、彫刻も多く、非常に手間がかかった墓である。元禄時代(1638~1704)の唐貿易の全盛期を反映しているのであろう。
唐僧玉岡は、延宝2年(1674)、33歳で長崎へ渡来し、直ちに崇福寺に入り、 千呆(せんがい)の弟子となり、やがてその法を嗣(つ)ぎ、千呆の下で輪番の住持(じゅうじ)をつとめた。 貞享3年(1686)45歳のとき、崇福寺の後山に竹林院を開基した。 元禄6年(1693)和僧の江外(こうがい)と共に師千呆の寿塔(じゅとう)を造った。 その年の8月、病にかかり10月6日示寂した。ときに玉岡は52歳。書画にも長じていた。
備考
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