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更新日:2021年10月27日 ページID:000685
(ぶっしはんどうせいのはか)
指定年月日 昭和53年12月20日
所在地 長崎市鍛冶屋町崇福寺墓域内
一般的に不振であった江戸時代の彫塑界において、 范道生(はんどうせい)が宇治の黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)で示した数々の彫塑は、 甚だしく秀れたものであることは、従来の日本美術に関する書冊が等しく説くところである。 しかし、范道生の生涯を正確に示した書籍は少ない。宇治の黄檗山萬福寺では多くの仏像を造ったが十八羅漢が最も有名。 寛文4年(1664)秋、 十八羅漢を仕上げた范道生は、老父がいる廣南(現在のベトナム)へ向かった。寛文10年(1670)、廣南船に乗り再び長崎に渡来した范道生に対し、 長崎奉行は、 滞留を許可しなかった。11月2日吐血して死去。当年36歳。墓は崇福寺後山にある。
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