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更新日:2013年3月1日 ページID:000690
(きゅうらてんしんがっこう)
指定年月日 昭和47年5月15日
所在地 長崎市南山手町5番3号 大浦天主堂敷地内
明治6年(1873)明治政府のキリスト教禁教令廃止を契機に、大浦天主堂のプティジャン神父はラテン神学校設立を計画し、明治8年(1875)に完成した。大正15年(1926)浦上神学校ができるまでは、神学校の校舎兼宿舎として使用された。その後司祭館や集会所にも使用され、昭和になって1階の間仕切(まじきり)を撤去して広い部屋をつくり、更に3階を改造して学生の寝室とした。設計はド・ロ神父。構造は木骨煉瓦(れんが)造で、骨組を木造にし壁に煉瓦を積む特殊なものであるが、ド・ロ神父は建築技術に造詣が深く、その設計監督した建物は極めて堅牢であるのが特徴である。大浦天主堂内司祭館・出津教会等、数多くの建物を遺している。
備考
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路面電車・バス「大浦天主堂」下車徒歩5分
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