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更新日:2013年3月1日 ページID:000694
(こうたいじのぼんしょう)
指定年月日 昭和51年12月15日
所在地 長崎市寺町1番1号晧臺寺境内
当時の梵鐘は寛永19年(1642)重興開山一庭融(鷲)頓が唐大通事中山太郎兵衛尉繁長を本願大施主に(前年病死)、 シャム貿易の津田又左衛門尉俊昌の助力を得て長崎の冶工阿山助右衛門国久に鋳造させた。しかしこれは音色が弱かったので元禄15年(1702)当時8世重関了(亮)道が改鋳した。冶工は肥前佐嘉長瀬町住谷口安左衛門兼清であった。これが現存の梵鐘である。大施主の特定の姓名がないので、広く募財したものと思われる。
延宝5年(1677)寺内で鋳造され現存する大仏も、 佐賀の冶工の作といわれているが、 佐賀の鋳物師(いもじ)の造った梵鐘は、 長崎ではここだけである。
備考
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