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更新日:2021年10月28日 ページID:000695
(とうつうじりん・かんばいけぼち)
指定年月日 昭和52年7月20日
所在地 長崎市寺町晧臺寺後山墓地内
福建省福州府福清県の人の林公琰(りんこうえん)が日本に渡来し、大村藩の森氏の娘と結婚し生まれたのが林道栄(りんどうえい)で有名な大通事となった。学問が深く、詩文に長じ、書を能くし、語学も抜群であった。その子三郎兵衛が早く死んだので、孫の勝五郎の後見として官梅三十郎(かんばいさんじゅうろう)をつけた。官梅三十郎は平井仁右衛門の子で三郎兵衛の娘婿である。三郎兵衛の子が林家を継ぎ、三十郎の子孫が官梅家となった。この両家の墓がここに左右に並んでいる。林家が一時鹿児島に行き断絶したようになったのを游龍彦十郎(ゆりゅうひこじゅうろう)が林道三郎を立てて林の本家を継がせようとしたときはもう幕末が迫っていた。
備考
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