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更新日:2021年10月28日 ページID:000697
(ごとうけぼち)
指定年月日 昭和48年11月5日
所在地 長崎市寺町晧臺寺後山墓地
後藤家は、代々島原町(現在の万才町)に住む町年寄の家柄で、その初代は、 海外貿易に従事した御朱印船主の後藤宗印(そういん)である。宗印は、文録元年(1592)頭人(後の町年寄)であったが、 寛永3年(1626)80余歳の老齢ながら、 キリシタンなるが故に江戸に召喚(しょうかん)され、翌年病死した。2代貞朝以後明治維新まで14代にわたって町年寄を勤めた。 墓地の形成は墓石の配列と様式から寛文(1661~73)前後と考えられ、正面中央に宗印(貞之)を祀り向かって右(南)から2代・3代と墓碑が配列されている。(5代茂直・14代貞紀の墓碑はない。)
備考
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(補足)地図は目的地周辺の概ねの位置を示しています
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