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更新日:2013年3月1日 ページID:000704
(なかしませいどういこうだいがくもん)
指定年月日 昭和35年3月22日
所在地 長崎市寺町4番32号 興福寺境内
儒者向井元升(げんしょう)は正保4年(1647)東上町(現在の上町と玉園町)に孔子廟(聖堂)及び学舎を建て、 立山書院と称した。当時国内に官学・藩学の学舎は設けられたが、これは向井元升が私力を以って創設したもので奉行馬場三郎左衛門がこれを助けた。寛文3年(1663)市中大火に類焼し、また塾師に人を得ず一時衰退したが、 延宝8年(1680)元升の第3子元成が京都から帰来したので、これを迎えた。宝永7年(1710)旧鋳銭所跡(現在の伊勢町、中島川の沿岸)に移り、翌正徳元年(1711)8月竣成した。長崎聖堂というが、一般には中島聖堂と呼ばれた。明治初年廃滅し、杏檀門(きょうだんもん)と規模縮少した大成殿(たいせいでん)を残すのみとなったので、ともに昭和34年(1959)保存のため現在地に移した。 門扉に大学の章句を刻むので、俗に大学門と呼ぶ。
備考
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路面電車・バス「市民会館」下車徒歩5分
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