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更新日:2021年10月28日 ページID:000706
(こうふくじしょうころう)
指定年月日 昭和37年3月28日
所在地 長崎市寺町4番32号 興福寺境内
寛文3年(1663)市中の大火で寺内ことごとく類焼のあと、 この鐘鼓楼は元禄4年(1691)に再建。更に享保15年(1730)重修。この時の棟梁(とうりょう)は高木弥源太・同久治平の名が棟札(むなふだ)にある。 その後も度々修理が加えられた。
重層の上階は梵鐘を吊り太鼓を置いたが、梵鐘は戦時中に供出して今はない。階下は禅堂に使用された。上層は梵鐘太鼓の音を拡散させるため、四方に火灯窓(かとうまど)を開き、周囲に勾欄(こうらん)を付ける。軒廻りは彫刻彩色で装飾され、 他の木部は朱丹塗り。 屋根の隅鬼瓦は、外向き(北面)が鬼面で内向き(南面)が大黒天像という珍しい例。 福は内、 鬼は外の意味と解される。日本人の工夫である。
備考
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路面電車・バス「市民会館」下車徒歩5分
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