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更新日:2013年3月1日 ページID:000801
終戦後、大瀬戸方面の人が、大阪方面の紡績工場に出稼ぎに行っていた人逹から習い、盆踊りを行った。それを京泊の人達が大瀬戸方面に働きに行った時、教わり、京泊でも盆踊りをするようになった。
当時は先祖の供養のために海岸道路で踊り、二重にも三重にも輪になり、夜遅くなると、お墓参りの人々も加わり、道が通れない程に賑わった。
演目は、「やっとせー「よっこでさいさい」だが、「石童丸」の口説きはとても良い踊りだと言われている。
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