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更新日:2013年3月1日 ページID:000807
寛政8(1796)年頃、堺船が長崎に来航する途路、たまたま風浪にあいやむをえず式見港に避難滞在中、雨乞いの催しがあり、里方の若者が堺船の船頭水夫から特に教えられて初めて出場したと言われている。
明治時代となり日清・日露・日独の戦勝祝賀の会に出場したが、昭和8年に長崎くんちに小川町の奉納踊として出場している。その後、昭和56年、48年振りに乙宮神社の大祭に、平成10年に長崎郷土芸能大会と乙宮神社大祭に出場した。
棒付34名、棒先8名、釆振8名、太鼓打8名からなり、釆振の采配により、力強い掛け声と太鼓の音で、太鼓山を回したり、放り上げて受け止めたりする、他には見られない血肉踊る感動ある素晴らしい男性的な芸能である。
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