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更新日:2024年6月20日 ページID:041195
東総合事務所は、東部地区活性化実行委員会と連携して、長崎市東部地区の過去の風景、生活の様子、祭事などを収めた貴重な写真や映像をデジタル化し、蓄積・長期保存のうえ、様々な方法で活用していくことで地域愛の醸成につなげる「ひがしデジタルアーカイブ」に取り組んでいます。
※東部地区活性化実行委員会…東部地区の活性化を目的として各地区(日見、矢上、古賀、戸石、橘、高城台)の代表者で組織する会議
『ながさきE@STory』では、東部地区のとっておきの古写真を、現在の状況とあわせてご紹介します。(随時更新予定!)
なお、東部地区の古い写真や映像をお持ちで、東総合事務所にお貸しいただける方は、今後活用させていただきたいので、ぜひ地域福祉課までご連絡ください。撮影時期、撮影場所、往時の状況や思い出などもお伺いできれば幸いです。
≪目次≫ (対象の記事へジャンプします)
【第1号】 現川の石橋群(令和6年6月更新)
明治23年(1869~1870)頃に中島土市氏が、本河内の石橋を参考として、現川住民の協力を得て、現川川に5つの石橋を架けました。うち1橋は洪水により流失。残った4橋は、その歴史的価値から、市の有形文化財に指定されましたが、長崎大水害によりすべて流失しました。アーチの命ともいえる輪石の架け方は、野面石(のづらいし)を削らず、ほぼそのままのかたちで、崩れることなく組み重ねるという、常軌を逸した工法であったとされています 。
小藤橋 | (現在) |
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山の神橋 | (現在) |
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山川橋 | (現在) |
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樫の木渡瀬橋(屋敷橋) | (現在) |
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(参考)長崎大水害後の現川川(屋敷橋付近) |
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地図(クリックすると大きくなります) |
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