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更新日:2024年7月10日 ページID:041195
東総合事務所は、東部地区活性化実行委員会と連携して、長崎市東部地区の過去の風景、生活の様子、祭事などを収めた貴重な写真や映像をデジタル化し、蓄積・長期保存のうえ、様々な方法で活用していくことで地域愛の醸成につなげる「ひがしデジタルアーカイブ」に取り組んでいます。
※東部地区活性化実行委員会…東部地区の活性化を目的として各地区(日見、矢上、古賀、戸石、橘、高城台)の代表者で組織する会議
『ながさきE@STory』では、東部地区のとっておきの古写真を、現在の状況とあわせてご紹介します。(随時更新予定!)
なお、東部地区の古い写真や映像をお持ちで、東総合事務所にお貸しいただける方は、今後活用させていただきたいので、ぜひ地域福祉課までご連絡ください。撮影時期、撮影場所、往時の状況や思い出などもお伺いできれば幸いです。
≪目次≫ (対象の記事へジャンプします)
【第1号】 現川の石橋群(令和6年6月更新)
【第2号】 長崎大水害時の矢上町(令和6年7月更新)
【第3号】 かき道橋(令和6年8月更新)
【第4号】 長崎県自動車検査場兼自動車運転者試験場跡(令和6年9月更新)
【第5号】 矢上普賢岳と番所橋(令和6年10月更新)
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古写真は田ノ浦の高台から矢上普賢岳方向を撮影したものと推察されます。古写真の左下に写っている番所橋は、大正12年(1923年)に架設された3代目と思われます。現在の番所橋は、昭和61年(1986年)に架設された4代目です。橋名は役人の番所が付近にあったことが由来です。昔も今のように、たくさんの方が番所橋を行き交ったことでしょう。
左下に番所橋があります。 |
現在の写真です。 |
東望山入口(県警機動隊側)の県営バス矢上営業所があった場所には、以前、自動車の運転免許試験場がありました(自動車検査場も併設)。大正期に自動車取締令が施行され、茂里町(昭和7年)と尾上町(昭和8~9年)で簡単な運転免許試験が実施されていましたが、昭和10年(1935)に矢上青年学校を借り上げ、本格的な試験場をこの地に開設。コースによる試験が月に一度おこなわれていたとのことです。昭和35年(1960)に大村市に移転。のちに県営バスの営業所となりました。(以上、『矢上のあゆみ(郷土史勉強会)』を参照しました。)
9月21日(土)から9月30日(月)は「秋の全国交通安全運動」期間です。運転免許証を確実に更新し、交通事故を絶対に起こさないよう、安全運転をお願いします!
現在の辻の尾公園付近から撮影したもの。 左側の道路は国道25号(現在の国道34号)。 奥に切通・日見方面を望む。 |
左の写真と逆の方角から撮影したもの。 奥の山は矢上普賢岳。 |
県営バスの旧矢上営業所付近の現在の写真。 | 試験場の平面図も写真で残されています。 |
東部地区の中心を流れる八郎川の河口から数えて3番目のかき道1丁目と矢上町を結ぶ「かき道橋」。古写真(左上)は昭和9年(1934)の架橋後に現在のJA長崎せいひ付近から撮影されたものと思われます。写真の裏書には「長崎市稲佐の假橋を柿道区にて買収し架ける」とあり。稲佐付近に仮設していたものを移してきた橋だそうで、見るからにしっかりとした橋桁ですね。その後架け替えられた2代目のかき道橋は長崎大水害(1982)により流失し、昭和59年(1984)12月に現在の3代目に架け替えられました。今年は初代から丸90年、3代目から丸40年の節目の年(調査不足のため2代目の架橋時期は不詳)。これからも市民の生活と流通に活躍してほしいですね。
【左上】 初代のかき道橋 【右上】 写真左側に架かる橋が2代目 (撮影時期は昭和50年代で長崎大水害による流失前) 【左下】 現在のかき道橋 |
42年前の昭和57年(1982)7月23日、長崎大水害がおこりました。17時から24時までの7時間雨量が矢上団地で360mm超を記録(『2000年の東長崎』より引用)し、東部地区では102名(日見地区36名、東長崎地区66名)の死者・行方不明者が出ました。今回のデジタルアーカイブは、長崎大水害時の矢上町(東公民館付近)を撮影した写真をご紹介します。壊れた家屋の建材や土砂・流木、自動車などが流され、完全に機能を失った国道と、損壊した商店街の様子が撮影されています。これから大雨や台風などにより風水害が起きやすい時期となりますので、過去の災害などを教訓として、まず”命を守る行動”の準備をしておきましょう!
長崎大水害時の東公民館前(長崎方面に向かって撮影) |
現在の東公民館(東部地区にこにこセンター)前 |
長崎市 「防災」 のページはコチラから。(新しいウィンドウで開きます)
明治23年(1869~1870)頃に中島土市氏が、本河内の石橋を参考として、現川住民の協力を得て、現川川に5つの石橋を架けました。うち1橋は洪水により流失。残った4橋は、その歴史的価値から、市の有形文化財に指定されましたが、長崎大水害によりすべて流失しました。アーチの命ともいえる輪石の架け方は、野面石(のづらいし)を削らず、ほぼそのままのかたちで、崩れることなく組み重ねるという、常軌を逸した工法であったとされています 。
小藤橋 | (現在) |
山の神橋 | (現在) |
山川橋 | (現在) |
樫の木渡瀬橋(屋敷橋) | (現在) |
(参考)長崎大水害後の現川川(屋敷橋付近) |
地図(クリックすると大きくなります) |
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