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更新日:2013年3月1日 ページID:010342
平和公園
松山町2400-1 他
昭和20年8月9日午前11時2分、平和公園の原爆落下中心地点上空500メートルで、原子爆弾が炸裂し、多くの市民が犠牲となりました。長崎市は「最後の被爆都市」となるため、世界平和を希求しつづけています。毎年8月9日に平和祈念式典が行われます。園内には世界各国から寄贈された平和と人類愛を象徴するモニュメントが設置されています。
120台
普通:有り、多目的:有り
長崎駅より路面電車で1番系統赤迫行き「松山町電停」まで10分、下車後徒歩3分。JR浦上駅より徒歩15分。
平和を願い実践していく交流公園
被爆諸霊の冥福を祈り、世界恒久平和の使徒の決意の象徴として、市民の浄財を基として建立されました。
高さ約9月7日メートル重さ約30トンの青銅製で「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」と郷土彫刻家・北村西望氏の作で、昭和30年に完成しました。
一般市民の原爆殉難者の冥福を祈り、あのむごい原子爆弾が、再びこの地球で炸裂しないためにも、この鐘を鳴らし続けて恒久平和の確立を世界の人々に訴えるため建立されたものです。
原爆のため体内まで焼けただれた被爆者は「水を」「水を」とうめき叫びながら死んでいきました。
その痛ましい霊に水を捧げて、めい福を祈り、あわせて世界恒久平和を祈念するため、全国からの浄財を基として、建設されました。噴水池の直径18メートル、噴水の高さ0月5日~6メートルで、刻々変化する水形は、平和のはとの羽ばたきを形どり、つるの港といわれる長崎港のつるも象徴しています。
昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾がこの地の上空500メートルでさく裂し、一瞬で73,800人の尊い生命を奪い76,700人の負傷者を出しました。
塔の前に置かれた原爆殉難者名奉安箱には原爆により爆死された方、被爆者でその後亡くなられた方々の氏名を奉安しています。黒御影石製、高さ約6月5日メートルです。
東洋一の壮大さを誇ていたが、原爆によりわずかな堂壁を残し、崩れ落ちてしまいました。
この遺壁は聖堂の南側の一部を移築したもので、原爆による石柱のずれが注目されます。
原爆によって破壊された家の瓦やレンガ、焼けた土や溶けたガラスなどが大量に埋没しており、被爆当時の悲惨な実相を示す資料として現地に保存されています。
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