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更新日:2024年10月29日 ページID:005552
当地区は、市の中心部から北西に広がる浦上川を中心とした平地部分で、原爆罹災地をおおむね包含した区域です。
本市は昭和20年8月9日原子爆弾により、市中心部から北部にかけて約670ヘクタールにわたり歴史的な大惨禍にみまわれましたが、戦後、国の「戦災復興計画基本方針」に基づき、従来決定されていた都市計画に検討を加え、早急な都市復興をめざして、罹災地のうち山林部及び比較的人家の少ない所を除外し、重要かつ緊急を要する区域を8工区に分けて土地区画整理事業を実施することにしました。
昭和24年8月9日長崎国際文化都市建設法の適用を受けることになり、原爆落下中心地及びその付近一帯を平和公園(原爆落下中心地、祈念像、国際文化会館、総合運動場)として整備することにし、また、昭和26年の長崎国際文化都市建設計画の決定を経て、着々と事業を進めてきました。
その後、事業の早期完了のため数次にわたる区域の変更を行い収束を図りました。
この写真は、長崎県の承認を得て、長崎県が所有する航空写真(平成15年3月撮影)を複製したものである。(承認番号16砂第221号)
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