ここから本文です。
更新日:2024年1月1日 ページID:041435
前回ご紹介した古賀十二郎先生のほかにも、多くの先達が長崎学を牽引しました。
古賀先生と並び長崎学の三大家と称される武藤長蔵先生や永山時英先生、精力的な資料収集を行った福田忠昭先生や渡辺庫輔先生、メディア出演もされていた永島正一先生や越中哲也先生、名著を遺された大学の先生方―まだまだたくさんいらっしゃいます。
多くの研究者を長崎学に駆り立てたものとして、Vol.1「長崎学ってなに?」でも触れましたが、長崎はいわゆる鎖国の時代、唯一の公式な海外貿易港として重要な役割と独自の発展を果たしたこと、それゆえに政治や経済、宗教、文化など多角的な研究の対象となりえたという特殊性が挙げられます。
長崎学を支える膨大な資料を集め、閲覧などに供するべく、これまでに様々な施設がつくられました。
1912年(明治45)には県立長崎図書館が、1941年(昭和16)には長崎史料博物館(のちに市立長崎博物館へ改称)が開館。
2005年(平成17)には県と市が共同で長崎歴史文化博物館を設置しました。
施設だけでなく、様々な組織も生まれました。1928年(昭和3)に設立した長崎史談会は、『長崎談叢』の刊行や勉強会を行ってきました。
1997年(平成9)には長崎純心大学博物館内に長崎学研究所が発足し、長崎地方の文化史一般について調査研究を進めています。
ほかにも長崎近代化遺産研究会、長崎近世文書研究会、長崎女性史研究会、長崎学会(休会)、長崎歴史文化協会(閉会)など様々な研究会が発足するとともに、「長崎伝習所」や市内の各公民館で長崎学に関する講座などが実施されています。
加えて、長崎学の成果は文学や歌謡曲、観光など学問以外の分野へも寄与しました。
観光コンテンツのひとつ「長崎さるく」は、長崎の風や長崎游学の会など様々な団体や人々が担っています。
ここまでご紹介した長崎学の主な足跡から、長崎学はバラエティに富んだ学問であることを実感いただけたでしょう。
その多様性は、冒頭で述べた研究の切り口の広さに加え、大学教授などアカデミックな研究者から郷土史家や市民団体まで、幅広い担い手が研究や普及啓発に取り組んできたことによると言えます。
そんななか、各研究者や団体が情報交換できる場があればもっと長崎学が深まるのに、という考えのもとにできたのが、長崎市役所の長崎学研究所です。そのお話は、次回のコラムでお話ししましょう。
長崎学の研究成果のほんの一部。たくさんの研究者が多様な切り口で、長い年月をかけて積み上げてこられたものです。
(長崎市長崎学研究所 学芸員 田中 希和)
より良いホームページにするために、ご意見をお聞かせください。コメントを書く