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更新日:2024年9月3日 ページID:042601
長崎の盆行事と言えば精霊流しが有名です。これは、8月15日のお盆の最終日に、現世に戻った御霊(御精霊)を再び浄土に送るため、精霊船に乗せて流すものです。
その翌日16日にも盆行事が続いている事をご存じでしょうか。例えば、長崎市内には「精進落とし」として鶏肉と冬瓜を煮たものを食べる風習があり、『長崎市史 風俗編』には旅立った御魂の安全を祈るアトニギヤカシではないか、とも書かれています。
一方で、長崎市の立山地区では現在も16日に「立山流れ勧請」という行事が行われています。この行事について、地元自治会の人に由来を聞くと「お盆にこの世に戻って来た御霊が未練を断ち切れずに15日に居残ることがあるため、翌16日に御霊を地域内の岩原川に流して浄土に還す行事」とのお話でした。新型コロナウイルスの流行前は、地区の子ども会も参加していましたが、現在は自治会の方たちのみで実施しています。「立山流れかんじょう」と背中に書かれた法被を着用し、木製の地蔵、全長94cmの小型の精霊船、「南無延命地蔵正尊」と書かれた五色の短冊を結んだ笹竹を持ちます。この精霊船には線香が立てられ、菓子が積み込まれています。当日は、立山町地蔵堂で準備を行い、立山5丁目にある金毘羅神社鳥居附近から1丁目までの傾斜地の石段を、鉦を鳴らしながら下ります。この途中に鉦の音を聞いて、住民がお布施を持参し、返礼として船に積み込んだ菓子を手渡します。そうして、地蔵堂に戻り、地蔵と精霊船を堂内に納め行事は終了となります。
江戸時代に書かれた『長崎歳時記』には、長崎では旧暦の盂蘭盆16日以降に小さなわら船を造って鉦を打って送る風習があったとの記述もあり、「立山流れ勧請」には、このような要素が残っているのかもしれません。
新型コロナウイルスの流行により、全国的に年中行事や祭事の規模が縮小され、中には開催が無くなったものも見受けられます。「立山流れ勧請」も、令和2年、3年は中止となりましたが、令和4年から復活し今年も実施されました。長崎市内には各地域に様々な年中行事があり、それぞれに先人たちの思いがあります。これらが後世に受け継がれることを願って止みません。
金毘羅神社鳥居附近から地蔵堂を目指しスタート
眺めの良い立山の細道を下る
「立山流れかんじょう」の法被を着用
鉦が先頭で地蔵、幟、小さな精霊船、笹が続く
畑のわきを通る
お布施に対する返礼品の受渡し
地蔵堂にて
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