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更新日:2018年3月5日 ページID:030971
文化観光部文化財課
平成28年度第1回 長崎市文化財審議会
平成28年12月8日(木曜日) 17時00分~
長崎市民会館1階 長崎市男女共同参画推進センター アマランス会議室3
1. 小島養生所跡の文化財としての価値について
平成27年度(4月、8月~10月)及び平成28年度(8月~11月)に旧佐古小学校敷地(体育館側)において実施した発掘調査の経過及び発掘結果(検出遺構や出土遺物)について報告を行い、審議を行った。
1 調査経過及び発掘結果
旧佐古小学校敷地(体育館側)は、文久元年(1861)に開設された日本最初の西洋式近代病院として知られる小島養生所跡地である。佐古小学校及び仁田小学校の統合による新校舎建設予定地となったことから、埋蔵文化財の存否確認のため、平成27年4月に試掘調査を実施した。その結果、小島養生所跡とみられる明確な遺構は確認できなかったが、養生所建物の存続期にあたる幕末から明治前期の遺物包含層が良好な状態で残存していることが判明した。
そのため平成27年度及び平成28年度において発掘調査を実施し、小島養生所の北棟建物のものと推定される石垣や建物基礎、瓦敷等の遺構が検出された。出土遺物は約7,200点に及び、小島養生所の存続期間に帰属すると推定されるガラス製薬瓶や薬草を煎じる土鍋・土瓶などの病院関連遺物が検出された。また当該地からは、明治14年(1881)設置の長崎梅毒病院、明治22年(1889)設置の県立小島病院時代に帰属するとみられる遺構も併せて検出された。
2 主な意見
(1)小島養生所と医学所が統合され分析究理所が併設された精得館の時代までを日本における近代教育発祥の歴史と捉えるべきである。よって、今後の発掘で医学所や分析究理所の遺構がどれくらい残っているかが重要な問題となる。校舎解体の際には慎重を期すとともに、今後、この土地の時代順の変遷過程を系統立てて遺構の分析を進めること。
(2)近代の遺構の発掘調査は、まず古写真や絵図、図面等の資料調査を行うことが基本であることから、それら資料の精査を行い、各時代の建物の配置関係や位置等の遍歴を押さえた上で、地図上において対照・分析し、校舎・体育館解体後の発掘方針を定め、調査を行うこと。
(3)地形の改変がかなりあることから、まずは標高や高低差を押さえて元の地形を復元し、その変遷を把握することが必要である。
(4)石材の分析等、専門家の意見を幅広く取り入れながら分析を進めること。
(5)既存建物の解体が完了しておらず全面発掘ができない状況にあるが、当面はあたりをつけながら現状でできることを、できる限り行うこと。
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