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令和5年度第2回 長崎原爆資料館運営審議会

更新日:2024年5月30日 ページID:042170

長崎市の附属機関(会議録のページ)

担当所属名

原爆被爆対策部 平和推進課

会議名

令和5年度第2回 長崎原爆資料館運営協議会

日時

令和5年11月30日(木曜日) 15時00分~

場所

原爆資料館地下1階平和学習室

議題

(1)開会
(2)議事
ア 報告事項 小委員会審議内容について
イ 協議事項 展示更新基本計画素案について
(3)閉会

審議結果

1 報告事項 小委員会審議内容について

  • 事務局より説明(別冊1小委員会の意見一覧及び別冊2小委員会各論点のまとめ等)
  • 質疑内容

【委員】
別冊2素案の13ページ「原爆投下に至る歴史に関する展示」の2行目に、「多角的な視点が不足している」という言葉が出てきますが、具体的にどういうことを示しているのか、もしわかれば教えてください。
もう一点、1「歴史をきちんと見つめることが未来につながる、という姿勢に基づいて検討する」という表現があるのですが、最初の部分は評価できるのかなと思うのですが、他の項目は末尾が「展示する」となっているのに、こちらだけ「検討する」となっていますので、表現的にはどうかわかりませんが、「姿勢が伝わるような展示とする」みたいな表現に変更する、ということが検討できないかという点も教えてください。 

【事務局】
「多角的な視点」については、現在の展示が、主に事実の列記、年表を中心とした展示となっており、予備知識が無い方にとっては理解が難しい部分があります。そのようなことも踏まえて、より多角的な視点から考えられるように、というご意見がありました。
例としまして、四角囲みで書いています。例えば、第一次世界大戦後に、平和思想というものが世界的にも醸成されていた中で日本の戦争によってその流れが一部後退していったとか、そういった、より多角的に見られるような視点を展示の中に加えれば、より理解が深まるのではないか、といった議論を小委員会でいただいたところです。
それから、一番目の「歴史をきちんと見つめることが未来につながる、という姿勢に基づいて検討する」については、基本計画策定後も、設計段階においてより具体的な内容を検討していくことになり、その検討する上での姿勢ということで表現していますが、ご発言のとおり分かりにくい部分があるということであれば、検討したいと思います。 

【委員】
13ページに「歴史をきちんと見つめることが未来につながる、という姿勢に基づいて検討する」と。それはどこで検討するのかですね。ここは「姿勢が伝わる展示とする」とはっきりしていったらいいのでは、と思います。
それから2⑷「戦争には被害と加害の両方の側面があるため、一面からではなく、多角的な視点から考えることができるよう、客観的事実に基づいた展示とする」、ここも何を示しているのかはっきりわからないわけですね。特に今度の展示の中では、このCコーナーの「日中戦争、太平洋戦争」というところが「原爆投下に至る」ということで、ぼやけてしまっている、という感じがするわけですよ。
そういった点では、やはり今の展示で、もっと内容を付け加えていくということが重要ではないかと思います。特に、「南京大虐殺はなかった」という意見もありますが、しかし、報道写真を提供された村瀬守保さんの、写真集等からの資料もあります。その方が南京に入場するとき、手前まで来て待たされたと、そのような中で、南京の中で虐殺が起きているのではないかという噂も聞き、入ってみたら、写真のとおり揚子江での大量の民間人も含めて殺された遺体がたくさんあった、ということです。
やはり日本の加害責任というのを、はっきり述べていかなければならない。特に中国での加害というのは、日本が一方的に中国に武力侵攻し、加害を加えて満州という国も作っていったわけですね。ですから、そういったことは、はっきりしてもらいたい。
そして、特に日本の場合は、学校で近現代史をあまり教えられていないわけです。ですから日本の加害責任は、大人でも知らない方が結構おられます。はっきりその上に立って、やはり日本の加害についてしっかり述べていく、そうしないと、やはり世界の人々、とくに東南アジアの人々には理解が難しくなってくるのではないか。
そういった点で、今まで通りの「日中戦争と太平洋戦争」ということで述べてもらいたい、展示してもらいたいと思います。 

【委員】
私が子どものとき「支那事変」といっていたものが今、「日中戦争」といわれているわけですが、これはもう一度見直しする必要があると私は思っています。と申しますのは、戦後、先ほどお話にあった「日本が侵略した、加害した」というようなことが非常に標準的な考え方になっていますが、ある意味逆なのですよ。戦争を仕掛けたのは中国なのです。
例えば、子どもたちは東京書籍出版の教科書で勉強を教わっています。「日本の中国侵略」というタイトルで教わっています。しかし同じ東京書籍から昭和18年の復刻版が出ています、これを見てみてください。「支那が戦いを挑んできた」とはっきり書かれています。
盧溝橋事件も、当時の長崎日日新聞なども、どなたでも図書館で見ることができますので見ていただきたいのですが、中国が仕掛けてきていますよ。日本は中国と戦争したくなかったが引きずりこまれてしまった、というのが実態です。そこで、何が言いたいかというと、本当の日本の歴史と、今教えられている、ある一般の社会的な風潮になっているものは全く内容が違いますので、もう一度、教科書を含めて見直しをしていただきたいなと思います。これは私のお願いなのですが、よく見ていただいている方はご理解していただけると思いますので、よろしくお願いします。 

【委員】
日中戦争についてご発言があったので少し付け加えたいと思います。
一つは資料として言われたのが昭和18年の新聞ということですが、戦時下の新聞は、政府が流しているものを載せるだけですので、それは戦後、読売新聞も朝日新聞も皆反省したところであって、そこに書いてあることを事実だと考えるのは、今のロシアのことを考えても、それはできない話です。そこに「中国が攻撃した」という話が載っていても、それは戦後否定されたことです。
盧溝橋事件そのものは、どちらが発砲したのかということについては、実は歴史学会ではそれを検討している方もいますが、そこは大きな問題ではなく、それをきっかけにしてどのように戦争というように大きくなっていったのか、ということが一番大事です。
1940年、昭和15年、参謀本部の課長の聞き取りがあるのですが、それを見ると、1937年、昭和12年の7月8日の朝の参謀本部は、一つは盧溝橋事件が起きて、「困ったことになった」と言っていた課長さんたちと、もう一つは、「この際だからやってしまえ」と言っていた課長さんたちとがいて、要するに参謀ですよ、その結果大きくなっていったというのが日中戦争です。そのような点では、日中戦争という、要するに外の国に出かけていって、その後1945年まで8年間も戦い続けたという、何か今のロシアみたいな戦争を日本がしてしまったというのは否定できないことです。
それは、委員のお持ちになっているご意見としてはそうでしょうけれども、歴史研究の中ではそのように言っている研究者はいないと思いますので、一言言っておきたいと思います。 

【会長】
いろいろご意見もあろうかと思いますが、今回の報告の中では、基本的な展示をする上での考え方の議論をするというのが趣旨だと思いますので、具体的な個別の案件についての意見は別のところで議論していただければと思います。あくまでも「戦争の加害と被害の両方の側面を踏まえて、多角的な視点から考えることができるような材料を提供するような展示にしましょう」という確認をここでしたい、ということですので、今日個別のことに関して結論を出すということではありませんので、よろしくお願いします。 

【委員】
「多角的な」というお話ですが、今まで出てきたようないろいろな意見があるのだろうと思うのですよ。私はやはりそこを述べていかないと、と思います。
私も昨日資料を見ながら、多角的な視点というのは一体どんなことを指すのだろうかと考えました。それから「被害と加害とがある」、それはもちろんそうですよね。ですが、どちら側に自分たちが立っていたのかという辺りを、きちんと踏まえて展示していかなければ、それこそ世界に伝わる展示、というのがありましたよね、最初の方に。そういうことになっていかないのではないかなという感じがしますから、やはり展示の基本的なことが今日提示されたのですが、曖昧なところを少しはっきりさせていく必要があるのではないかなという気がします。 

【委員】
13ページの「原爆投下に至る歴史に関する展示」について、小委員会の中で専門家の皆さんがご議論された報告ですので、まずそのことに関してお尋ねをしたいと思います。
「歴史をきちんと見つめることが未来につながる、という姿勢に基づいて検討する」というところと、いま議論があったような「多角的な視点」、示されている4つの視点、というものが、より何かぼやけさせるような結果のものになっている気がしています。
先ほど委員からお話があったような、やはり当時の日本が軍国主義の中で戦争を進めていった、そのような結果が原爆投下になっているというところを太く入れ込まないと、4つの視点で多角的な視点ということだけを示す、ということであれば、逆に、なぜ原爆が落ちたのだろうかという疑問、どういう経過で投下されたのだろうかということが、かえってぼやけてしまうようなことにならないのかなという感想を持ちました。
そのあたり、小委員会の中では、国策を誤ったという、侵略と植民地支配の反省がされている中で、その点についてはこの展示更新の中でどうしようか、というのは話題にならなかったのか、お尋ねしたいと思います。 

【委員】
今までの議論を聞いて、委員の方々がおっしゃることも、大変重要なご指摘だと思っています。「多角的な視点が不足している」ということで、小委員会に参加しましたので、小委員会を代表するということではなく、あくまでも私個人の考えを申し上げたいと思います。
4つの視点ということですが、おそらく歴史の解釈の「多義性」、今まで委員の方々がお話しされたのは、どちらかというとその、歴史をどう理解するかという「解釈の多義性」というところでいらっしゃったのだろうと思います。
一方で、先ほどの委員のご発言にもありましたが、かなりの程度、歴史的な資料を基に歴史研究が進んでいますので、ファクツについて共有されている部分もあります。ここでの「多角的」とは、「多義的な解釈」ということでは私はおそらくないだろうと思います。もちろん、歴史解釈には多義性、いろいろな解釈の方法があると思うのですけれども。
どちらかといえば、この4つの視点というところに関連付けますと、例えば「平和思想の後退」は、原爆投下に至る歴史の中で平和思想が後退するという思想的な潮流を述べています。思想的な側面でも大きく変わってきた、つまり、「戦争してはいけない、平和が大切なのだ」という思想が1920年代にあったとしたら、30年代にはむしろ「軍事力というものを使って現状変更する」というような認識に変わっていった。このような、「思想の変化」というものが見られたということです。
二つ目は「戦略爆撃機の展開」ですが、そもそもなぜ長崎に原爆が落とされてしまったのか。それは一つには、第一次世界大戦時には、基本的に陸軍、海軍という2つの戦域が中心だったのが、1930年代以降、空が加わると。つまり、空からの攻撃というものに対して市民があまりにも無防備であるということで、明らかにその戦略が変わってきました。
これは、日本の加害ということにも関係してくると思うのですが、この戦略爆撃というものを最初に軍事的に利用したのが、日本でした。当時中国に空軍力はほとんどありませんでしたから、日本が錦州の空爆という形で一般市民を殺す、これが後のスペインのゲルニカ、さらには日本に戻ってきて東京大空襲や二度の原爆投下につながると。つまり、空からの攻撃、爆撃というものに対していかに市民が脆弱であって、被害が大きいかということ、これは戦争の戦い方が変わってきたということだろうと思います。
そして三つ目は、言うまでもなく、「科学技術の発展」というものです。科学技術というものが大きく進歩する中で、やはり従来とは違った兵器を持つようになります。原爆を投下するためには、当然ながらそのような科学技術の進歩というものが必要でした。それがいいか悪いかということの善悪判断は別として、科学技術の進歩というものによって原爆投下により大量破壊兵器、より破壊的な結果が誕生した。これは技術的な側面ということだと思います。
そもそも一般市民に対して不必要な苦痛を与えることは、国際法で禁止されていますから、もしかしたらアメリカは、仮に原爆が開発されたとしても原爆を投下しない、という政治的な判断をした可能性もあったのだろうと思います。
しかしながらアメリカは政治的にそれを決断したということで、これはあくまでも政治的な側面ということですから、原爆投下というものを考えるときに、このような今私が申し上げたような形で、思想的な側面、戦略的な側面、科学技術的な側面、そして更には政治的な側面、という形で、多角的にこれを理解するという見方もおそらく必要なのだろうと。それを広げることによって、より深く、来訪された方々が原爆投下の意味というものを考えていただきたい。
やはりそれをどう解釈するかということは、今まで委員の先生方が議論されている、多義的な解釈というのはおそらく依然として残るのだろうと思います。
しかしながら、それをどう見るかというときに、多角的な視点というもので論じるということはおそらく重要な意義を持つのではないかということを、私は小委員会の中で考えていただきたいと思います。 

【委員】
先ほど会長から、歴史の論点については、また別の機会で話してはどうか、というお話がありましたが、私たち小委員会に参加していない人たちも、そこで意見するような別の機会があるのでしょうか、というのがまず一つです。
この点についてはいろいろご意見を持っている方々も多いと思いますので、ぜひ、いわゆるこの全体にまつわる会議とは別で会議を設けていただきたいというのをお願いしたいと思います。私もこの点に関しては意見が複数あります。ただ別の機会を作っていただきたいというところで、また別の機会でそのことをお話ししたいと思います。
別の論点になりますが、「原爆医療や放射線等に関する展示」のところですね。
12ページの2「原爆が単なる大きな爆弾ではなく、爆風、熱線に加え、放射線という特殊性のある爆弾であることをわかりやすく展示する」、3「原爆による放射線の影響は、後から次々と生じ、被爆者の健康、精神に被害をもたらし、逃れられない不安が生涯続くということを、ストーリー性をもって展示する」とあり、健康面と精神面に関して記述がありますが、被爆者の方々が常に言っておられるように、こうした原爆による健康面と精神面の被害に加えて、心と体がズタボロになってしまったり、家族がいなくなってしまうことによる貧困や、暮らしの部分を加え、被爆者だというスティグマを背負うことによる関係性の被害、実際に家を壊されてしまうという「モノ」の被害、こうした、被爆者として生きていくという苦しみが、単に健康被害というのが他の兵器と違うから苦しいのだというところだけではなく、特に社会的差別を生むところに関しては、被爆地ならではの、コミュニティーが崩されてしまう、人が人らしく生きることができなくなってしまうというところに関する部分というのは、やはり被爆地としてきちんと世界に発信するべきところだろうと思いますので、その点も加えていただきたい、というのが一つです。
加えて、こうした、原爆による苦しみというのは国境がないという問題です。仮に今どこからか核兵器が投下された場合、そこにいるのはその国の人たちだけではなくて、いろいろな人たちが住んでいるわけですから、国境なくその人たちを殺してしまったり傷つけてしまったりすると。そのときにその人たちをどのように支援するのか、というところが今、核兵器禁止条約等でも議論されていますが、そうした支援の難しさなど、そうしたところで非常に難しい兵器なのだということをぜひ加えていただきたいというのがもう一点です。 

【会長】
前半の話に関しては、今日は小委員会でどのような議論がされてどのような提案があったのかということをお聞きした上で、その内容についてわからないところはきちんと今日聞いておくということで、小委員会の専門家の先生方のご意見を反映し、どのような展示をするかということについては、次の議論がここで行われると私は理解していますので、どのような議論が出たかというところの中身の確認をして、今日はやはりそれに対してこういう視点、観点はなかったのかという質問は大いに結構だと思いますが、それについてどう展示をするかということに関しては、今日の話題ではなく今後の議題だと私は理解しています。それで事務局の方よろしいでしょうか。 

【事務局】
今、小委員会のまとめをご説明しました。このあと計画の素案について説明します。ただ、基本的にはこのまとめを中心に作成しています。今後、基本計画策定後、設計段階に入りましても、引き続きこの運営審議会、小委員会を中心に議論を進めていただきたいと思っていますので、そういった場でより具体的なところについて、ご意見いただきたいと思っています。 

【委員】
12ページの「放射線の被害」の中で、「内部被ばく」の問題をもう少し詳しく入れた方がいいのではないかと思います。国は、内部被ばくについては、何も触れていませんし、また、軽視している向きがあります。そういった点で、内部被ばくのことについてもう少し展示を強化されたいと思っています。 

【会長】
座長の立場で質問していいのかどうかわかりませんが、私自身いわゆる第二次世界大戦、あるいは原爆、というときに、それ以前の、第一次世界大戦やいろいろな戦争がある中で、それまではどちらかというと軍隊と軍隊の激突だったのが、第二次世界大戦では明らかに、いわゆる一般市民を人質に取ったような戦争、そこでどれだけ人を殺すかということで勝負をつけていく、といったように流れが変わったのではないかと、漠然と素人が感じているところなのですが、そのような観点というのは今回議論としては出ていないでしょうか。
あるいは、そんなことはないということでしょうか。何か教えていただければと思います。 

【委員】
上手く答えられるかどうかわかりませんが、第一次世界大戦と第二次世界大戦、それ以前と何が変わったのかという、総力戦の中で市民含めて国力を減らすような戦争になったのではないかというのが、今会長が言われたことかと思うのですが、ただそれは、第一次世界大戦時からそうで、第一次世界大戦で市民の被害というのはやはり1千万、2千万と言われています。
ヨーロッパが戦場になりましたから、兵士だけの損害ではないです。ヨーロッパもこれで滅びてしまったとヨーロッパの人々ですら思ったような戦争が第一次世界大戦で、それを二度と繰り返したくないというので国際連盟を作って、国家間の緊張を解きほぐそうという試みをし、それの復活というか、新しいバージョンでやろうとしたのが今の国連、ということになっていくと思うのです。
ですから委員のさきほど言われた多角的な視点というのは、そのような平和の問題は、ただ戦場の問題だけではなく、当時の社会であるとか国家であるとか、広く思想であるとか、そういうことまで含めて、「深く考えていただくための材料を提供する」、という展示を作ってはどうか、というのが小委員会の中で様々議論が出ていたように私は思っています。 

【委員】
今、委員が言われたとおりだと思います。やはり、第一次世界大戦の時にもベルギーの多くの村が丸ごと焼かれて一般市民が殺されるという形で、19世紀の戦争とは20世紀に入って大きく殺傷能力が上がって、戦死者における非軍人の、一般市民の割合がどんどん高くなっていきました。
第一次世界大戦、第二次世界大戦と、その点では今会長が話された通り、第一次世界大戦より一層それが顕著になるというのは、そういった傾向が見られたのだろうと思います。その点でいうとおそらく一つの極限が、広島・長崎ではないかと。つまり、死者の中での軍人の割合が非常に低く、その多くは一般市民であったということで、本来それはあってはならないことなのですが、第二次世界大戦で突然起きたというよりは、当然ながら先ほどからお話が出ている日中戦争でもそうですが、第一次世界大戦から一般市民の死者というものが一気に大きくなってきます。
それから、ある意味では、平和思想というもの、つまり19世紀の間に、中世の間では貴族の間でスポーツのような感覚で、聖戦論、むしろそれは正しいものだというふうに戦ったものが、一般市民の死者が多くなったことによって、戦争というものを違法化し、また平和を求める流れになってきました。その点では今言われたことと、まさにそれが符合しているのだろうと思っています。 

【委員】
歴史の話と別に、先ほど委員からご指摘がありましたように、被爆者の被害に関して、例えばコミュニティーが破壊され貧困の問題など、多角的な被害に関しては大変重要なご指摘であると思います。
それでいいますと、小委員会の方の意見一覧には含まれているのですが、その小委員会の話の中で、原爆だけではなく、もう一つ世界の核実験被害のコーナーに関する議論の中でも、そうした被害が、コミュニティーの破壊であったり、また、伝統的な生活様式から切り離されてしまう、この被害の大きさというものが大変重要である、という議論が出ました。
ですから、委員のご意見を受けて、改めて整理の仕方をお伺いしたいです。
今、「放射線による被害」というコーナーの中身として、「被爆医療や放射線等に関する展示」が作られていると思います。それとは別に、今回のこの委員会での審議対象からは一応枠外ということになっている、熱線、爆風、放射線という三つの傘のもとで盛り込んでいく中での「放射線」の箇所の改定内容という議論、と整理されていると思います。
そうしますと、今ご指摘いただいたような、全体を通しての貧困の問題や、また全く暮らしが変わってしまうというのは、熱線、爆風、放射線という枠では括れないですよね。より大きな視点だと思います。個別の展示というよりも、どのコーナーが最もそれを効果的に適切に扱うのか、というのは、全体の流れの中で、もしかしたらもっと手前の「長崎の被害」を、まず最初に観覧者が見るときに、被害はもちろん熱線に爆風や放射線というものが当然大きな項目ではあるけれども、そこでまだ見えていない他の被害があるのだ、という認識を持って、より細かい内容について、熱線なら熱線、放射線なら放射線が体内に入っていくというような、少し大上段の議論かなという気がしました。ですので、やはり委員のご指摘は、この項目の被爆医療の項目にとどめることではなく、もう少し広いところの話として受け止めたらいいのかなと思いました。 

【委員】
15ページの「若い世代に自分事として捉えるための展示、未来志向の展示」の課題に、「戦争を知らない世代が増え、自分事として捉えることが難しくなっていることから、まず、被爆の実相を知る必要性を理解してもらう必要がある」と書いているのですが、「核兵器の被害の実相を学ぶ」というのは、「歴史を学ぶ」というよりも、「核兵器が実際に使用されたらどのように人々が傷付くのか、どのように都市が破壊されるのか、ということを学ぶ」という部分だと思うので、「歴史を学ぶ」ではなくて「実際に今核兵器が使われるかもしれないという状況になっているが、使ったらどうなるのかということを、皆知らないから学びましょうよ」という切り口に変えることで、「これまでの歴史の学習ではありません、核兵器のことについて学ぶための展示なのですよ」という見せ方にすることで、世代は関係ない問題だと捉えた方がいいのではないかと感じた、というのがまず一つです。
加えて、おそらく、示したいことがたくさんあり情報がたくさんある中で、展示スペースが限られているのでデジタルでカバーする、という議論が小委員会の中で行われたと書かれていますが、この時の考え方についてお聞きします。
例えばスマートフォン等で、その場で拡張的に機能を見ることができるという考え方がまず一つあると思います。もう一つは、資料館に訪れていない人たちも見ることができるようなソース、Webサイトの拡充とかを図っていく、というあり方もあるのかなと思います。
小委員会の中で、具体的にデジタルに関してどのようなことを想定されていたのでしょうか。私は実際に、普段修学旅行生や海外の方々の案内とかをしていますけれども、やはり限られた時間の中で、その場でスマートフォンなどのデバイスを使って拡張させるというのは限界があると思うのですよね。
それよりはむしろ、帰った後にホームページを見るとより充実した資料が展示されていて、それを無料で見ることができるとか、そちらのアップデートの方も進めた方がいいのではないかと率直に感じていまして、そのあたりの議論について、もし小委員会の方々の意見を伺えれば幸いです。 

【事務局】
デジタルの活用についてご意見がありましたが、この後ご説明します素案の第7章で説明したいと思っています。その説明内容が回答に繋がると思いますので、聞いていただいて、また疑問があればご質問いただければと思います。

2 長崎原爆資料館展示更新基本計画素案について

・事務局より説明(素案)

・質疑内容

【委員】
23ページの⑷ウのタイトルは多分「展示更新の方針」となっていますがおそらく「展示の主な内容」が正しいのかなと思います。
先ほど報告事項でも委員さんからありましたが、今回の「原爆投下に至る歴史に関する展示」の中で、今の展示で「日中戦争と太平洋戦争」のコーナーがありますが、それが「原爆投下に至る歴史に関する展示」というところで、集約化されているみたいな印象を受けるのですが、やはり日本の過去の戦争と世界との関係の中で、日本の戦争、侵略戦争と植民地支配の歴史がきちんとわかるようなところも、更新にあたっても、より加害の歴史というのも伝わる中身となるようにしていただきたいと思うのが一つです。
また、24ページ⑹「核兵器廃絶・核軍縮に向けた動きに関する展示」のところで、展示の内容については大事なことが書かれていると思うのですが、イ展示更新の方針のところで、各国で(ウ)「核軍縮に向けた取り組みが続いていることを示すことで、未来への希望を持てるような展示とする」とあるのですが、やはり核兵器禁止条約もありますし、「核軍縮」というよりは「核廃絶」に向けた市民社会の取り組みとした方が、核兵器をなくすというところがやはり未来の希望として大事と思うので、「核軍縮に向けた」という点が「核廃絶」との文言の方がふさわしいのではないかと思います。
この(ウ)「展示の主な内容」を見ても、平和宣言等でも「核抑止力論を乗り越える」と言われていますので、やはりこの「展示更新の方針」のところでも明確に、「核軍縮」ではなくて「核廃絶」こそ必要である、というのはやはり素案で明記する必要があるのではないかと思っています。 

【委員】
私たちは日本被団協を結成した時に、やはり「再び被爆者をつくるな」ということで、それには「核廃絶しかない」ということを宣言の中でうたっているわけですよ。だから被爆者は常に、「核軍縮」というと「少しなら核を持ってもいいじゃないか」という印象を与えるのですね、日本語としては。ですから、そういった点で「核廃絶」と述べていただきたい、ということです。
それから24ページの「核軍縮に向けた取り組みが続いていることを示すことで、未来への希望を持てるような展示とする」ですが、やはり僕は、「核戦争による人類滅亡の危機に直面している」というのが現実だろうと思います。そして、「1日も早く核廃絶を実現しなければならない時代に生きている」ということです。未来への希望を持てるようにすることと、それからやはり核兵器禁止条約、このことをもう少し大事に取り扱ってほしい。私達はこの核兵器禁止条約が人類の希望だと思います。そういった点で、核兵器禁止条約についてのコーナーも設けてほしいなと思います。
先ほども言いましたが、「核軍縮」ではなくて「核廃絶」と修正いただきたいなと思っています。
それからもう一つ、いわゆる資料館と他の平和の施設をつないでいくということで、例えば平和公園の横に、「長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂」があります。訪れる人が少ないわけです。そして、そこには現在でも8,900人くらいの方たちが眠っているわけですよ。また駅前の浄土宗のお寺の地下にも、はっきり数はわかりませんが1万人分ぐらいの遺骨が眠っていると。投下の年の、いわゆる12月の末までに長崎で原爆により亡くなった人は7万4千人と言われていますが、そのうちの約2万人近くの人たちが、人間らしく葬られることもなく、そしてまた、遺族や親類に看取られない、そういう死に方です。
ですから、人間らしく死ぬ、また人間らしく生きるというのですかね、やはり、例えば人生の節目である、結婚、就職、出産、という時にいつも、被爆した人たちは差別されたり、また自分の子どもが、まともに五体持って生まれてくるのか、原爆が常について回っているのだということをわかるように、一つ展示をしてほしいなと思います。 

【会長】
委員が最後に言われた差別の話などは、どこに該当しますでしょうか。後ほど。 

【委員】
28ページ、29ページの「デジタル技術を活用した展示の検討」で、資料館でどのタイミングでの3Dだったり、VR仮想現実を表現するところなのか、また、「メタバース仮想空間の中で様々な人とコミュニケーションが可能」とは、資料館に来なくても資料館を見学できるという表現になるのでしょうか。展示の仕方として、このVRやメタバースを含めた展示の仕方というのはどのような展示をするのか、というところがわからないのですが。 

【事務局】
まず大きくは、先ほど委員のご発言のように、実際の展示と組み合わせた活用というところはあると思いますが、今言われたようなバーチャルミュージアムの部分については、原爆資料館に来られない方でも、外部からインターネットなどを通じて見ることができるサービスというところをイメージしています。
その一つが、VRは実際にゴーグルをつけて見ることもできますが、通常のパソコンでも360度画像を動かしながら見ることができたり、ちょっと重複はしますが、メタバースも同じように仮想空間上で展示を見ることができたり、あるいはアバターという形で自分の代わりになるようなキャラクターを操作して、一方では長崎にいる方もメタバース上に入っていただくことで、長崎にいる方と遠方におられてインターネット上からアクセスされている方が交流できるなど、そういった可能性も広がるのではないかな、ということで書いています。 

【委員】
大きく三つ意見があります。まず一つ目ですが、21ページの「導入展示」ア「展示の狙い」で、「戦争を知らない世代でも、戦争を他人事ではなく、自分の身にも起こることとして捉えられるようにする」の「自分の身にも起こりうるものとして捉えるようにする」の解釈の仕方なのですが、「被害者になるかもしれない」という視点の重要性に加えて「加害者の側になるかもしれない」というリアリティを持てるかどうか、というのはすごく大事なのではないかなという気がしています。
例えば、核抑止に関しても、私たちは核の傘に入っているわけですが、実際に原爆資料館で展示しているような人々を生む核兵器を、私たちが「使う」という選択肢を持つことだってあるのだ、ということを具体的に想像することによって、核兵器を持っている国々であったり、その同盟国の方々も、今私たちが置かれている状況がどのような状況なのかということを、ある種客観的に見直す機会につながることは、被爆地として非常に重要なメッセージではないかなと思うのです。
これが、使われる側になってしまうと、いわゆる強者ではなくて、そうではない人たちの視点になってしまうので、いわゆる核兵器を持っている国々やその同盟国の方々も当事者意識を持ちやすいように、「使われる」だけではなく「使う」側の視点、「使うということはどういうことなのか」を想像する機会にもつなげてほしいと思うので、そのような書き方や展示の仕方も、一つ考えられるのではないかなと思った、というのが一点です。
もう一点が、24ページのデジタルコンテンツに関して、です。先ほど委員からもご質問ありました28ページ、29ぺージにも繋がるところで、VRとかAR、メタバースとか、私も非常に関心が高い分野で、実現できるといいなと思う一方で、例えばメタバースにアバターが入ってきて他の人たちと随時コミュニケーションをとる資料館の人たちを配置するなど、結構ハードルが高いのではという気もします。
ですので、より良いところとしては私もすごく賛成なのですが、その前にホームページにただPDFを載せるみたいなレベルも含めて、資料を拡充するというところは、ファーストステップとしてできるのではないかなと思いますし、そのようなところから始めていくという構想も一つありうるのではないか、という気がしています。
三点目に入ります。25ページの「展示全体を通して共通する内容、展示の配置や観覧動線」に関してなのですが、展示の内容については今日もたくさん議論がありました。加えて動線についても議論があり、副会長が詳しいかもしれませんが、やはり私は資料館に来た時に重要なのは、そこに何が展示しているかということもそうなのですが、そこで何を想像したり、考えること、問いと出会うか、というところだと思うのです。
その上すごく大事なのは、空間作りや、デザインは極めて重要だと思います。ただ、重要な情報が「載っている」というだけでは、どこで足を止めるべきなのかどうかわからないので、広島の資料館では、例えば三輪車が置いてあって、その三輪車に乗っていた子どものことをゆっくりと想像できるようなスペースが確保されていて周りには何も無い、という空間が作られていて、効果的に光を使って明暗を分けることによって、そのストーリーに没入できるような、動線だけではなくデザインの工夫、空間作りの工夫も行われているので、そうした観点というのも非常に重要ではないかなと思った次第です。 

【会長】
デジタルのところは、今思いつく限りの出来そうなことが並べてあり、実際どうするのかという印象も受けるので、やはり専門家チームみたいなものを作って、予算のこともあるでしょうが、別にしないと、何か夢は多く出てきたが、で終わりそうな気がするので、事務局の方で検討してもらえれば、と思います。 

【委員】
今回変更があるのは、C・Dコーナーが主、ということで、Cコーナーの内容に関しては皆様がこれから、また私も含めて十分検討を重ねていかれると思います。
Dコーナーは意外と自由な感じといいますか、流動性を持っていろいろなことができる場になればいいなとは思っています。何か毎回来ても違うことがあっているなということですね。
例えば、いこいの広場や、ビデオルームとか、そういうところの活用を、もっとしてもらいたいというのと、動線が、私も初めて来た時に、ビデオルームに無料で行けると分からず逆走しているような感覚があってですね、初めて観光で来られた方はわからないのではないかなと思いました。
例えばビデオルームで今、交流証言の人が証言しています、と言われていても、10分しか時間がないが無料です、直に行けますよと言ったら、では聞きに行きますとか。やはりちょっとしたそういう配慮がまだ足りないのかなと思います。また、企画展示室もどこにあるかわからないということがあるので、もう少し親切な、人に優しい誘導をしてくださる方がロビーとかにおられると、もっと、こちらが発信したいのだなというのを受け止めてくださるのではないかと思うのです。
一方的に、こういう情報をパッと流しています、そこに行けば聞けますよと言われても、ほとんどの人はまだ私も含めてそんなに卓越していないといいますか、知らない方も多くいらっしゃると思います。
それで例えば、企画展示室やいこいの広場でいろいろなイベントがあっていても、なかなかそういうことを教えてもらえないですよね。平和案内人さんを頼むと、その人がずっと案内してくださるからいいですが、もう時間がないからいいですと案内人さんを断った場合は、何の情報も得られず、ただ自分で回ることになります。
私が以前から思っていましたのは、例えば平和案内人さんがずっと一グループについて回るのではなく、小学生にはここはこういう説明をした方がいいのではないか、という場所はありますよね。少し難しいことが書いてあるとか、そのようなところには、例えば誰かが常時そこにて、幼いお子さんが来たときには、こういったことなのですよと説明してあげるとか、やはりそのような細やかな対応も必要なのではないかと。それは長崎の特徴、特色になってくるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。もしそのようなことを考えていただけたらとても嬉しいです。 

【委員】
委員のご意見、大変重要な点であると思います。小委員会で、年齢層に合った動線に関して、現状では例えば小学生が巡るコースがあるわけではありませんし、特に修学旅行で来ると時間がものすごく限られているのですよね。そうすると、例えば30分なら30分で一番見てほしいところと言ったらなんですが、あまり良い例ではないかもしれませんが、どこか観光地で半日周遊コースではないですが、例えばこことこことここは絶対にできるだけ時間を使って見てほしいみたいな、提供する側の意図があるとしたら、事前にホームページに紹介したり、入り口のところに何かそういった案内や、モデルコースではないですが30分の方だったらここを集中的に見たらどうですかみたいな、あるいは海外の人、あるいは年齢層が若い小学生向けと、現状の展示を変えなくても、強調するポイントを示していくようなことは、割とミニマムの労力でできるのではないかと思っています。
ですから、そういったニーズに対応した、ユニバーサルデザインというものがありますが、あらゆる方に対応するというのは非常に難しいですし、言語も含めて全てを展示することができなくても、現状でも、そうした異なるニーズや異なるバックグラウンドの人への対応は工夫次第でできるのではないか、と小委員会の議論の中でも考えたところです。 

【委員】
デジタル化について、今まで委員の方々がご指摘され、会長からもお話がありましたが、長期的にいろいろと予算的な措置を含めて考えるべきことと、比較的早く手をつけられることと、両方あると思います。
早く手がつけられることということで申し上げると、副会長がよくご存知のご専門であられると思いますが、一つは比較的海外の博物館で、スマートフォンを使って、例えば二次元コードがあってそこにかざすと、多言語で読むことができると。ホームページなども、オランダ語、フランス語、中国語、アラビア語などありますが、現行の全ての展示に説明があると大変な量になってしまうと思います。
ですから、日本語、英語があって、他の言語は、例えば二次元コードで入ると画面上で説明が出てきて、場合によっては音声をつけてそのままいわゆるオーディオガイドのような形で、かざすとすぐに聞けると。これは、比較的コストと手間をかけず多言語の説明ができるのではないかということが一つです。
また、おそらく喫緊に必要ではないかと私は感じておりますのが、既に展示の一部を活用されておられますが、被爆者の方々の「声」を早いうちにお聞きして、それを動画としていろいろな形で対応するように、タッチパネルを押すといろいろな方のお話が聞ける、それをまたスマートフォンでいろいろな言語で翻訳が出てくると。これはアウシュビッツなどでかなりサバイバーの方々の声というのを多く拾っています。やはりいずれ被爆者の方々の数が少なくなってくることを考えると、おそらく比較的予算もかからずに、またその動画を撮っておくことによって、いろいろな形で充実した展示ができるではないかと感じています。
それ以外にも、ちょうど私が先々月に、ベルリンの冷戦博物館で、臨場的な経験をしました。これは多分子どもたちには非常にインパクトがあると思います。ゴーグルをつけて、ちょうどベルリンの壁ができる、その緊張感溢れる最前線で自分が歩く、ということを経験できて非常に私自身刺激的だったのですが、まさにその当時の広島、長崎の原爆被爆の地を歩くような形もできるかと思います。
特に若い人たちに来てもらう上では、例えばタッチパネルの展示をより増やすであるとか、あるいはゴーグルをつけて自分がその場にいるような臨場感溢れる経験をしてもらうとか、比較的導入しやすいものと、じっくりと時間をかけて予算的な措置を考慮しながら考えるべきこととがあるかな、という気がしています。
あともう一点、先ほどありました核軍縮、核廃絶の表記についてです。これもごもっともですが、一方でこの数年間、急激に世界で「核軍拡」が起きています、数が急速に増えているわけですね。これから多分また加速的に増えるのではないかということが指摘されています。
それを考えると、つまり100か0で、「廃絶ができないのであれば増えてもいいのか」というとやはりそうではないと。「核廃絶」の目標と「核軍縮」の目標は、両方どちらかではなくて、両方必要なのかなという気もしております。
そういった意味では、実は英語ではどちらも「nuclear disarmament」と同じ言葉を使うのですが、更にそれをabolish、eliminateするという意味で、より強い言葉で、完全に廃止するという「total elimination」という言葉がありますが、おそらくその「nuclear disarmament」と「total elimination」を、プロセスを見たときには「核軍縮」となり、ゴールを見たときにそれが「核廃絶」になると思いますので、この両方が必要だということをおそらくは留意しても良いのではないかと感じました。 

【会長】
核廃絶と核軍縮の話で何かコメントありますか。 

【委員】
委員が言われたことでよろしいかと思います。ただ、先ほどの文言の、委員からご指摘があった箇所に関しては、「核兵器廃絶に向けて」で、私もよろしいと思います。「核軍縮に向けて」というのがやはり、長崎の大きな基本的な方針としては、文言としてそぐわないかなと思います。
ただ、非常に厳密な議論でいえば、委員もご承知のように、「核軍縮」、その「nuclear disarmament」という言葉自体が、「0に向かう」という意味を含むということですので、決して10あるものを9や8にして終わりではなく、よく言われることですが「核軍縮を約束した」ということは「0にするということを各国、核保有国が誓っている」といったところはありつつも、しかし、長崎からのわかりやすい力強いメッセージとして「核廃絶」を使い、適宜、「核軍縮」という言葉は、現状のプロセスの話をする時に使う、ということでよいのではないかと思います。 

【委員】
補足というかつけ加えさせていただきたいのですが、おそらく委員を始めとして、核兵器廃絶に関しての文言にこだわるところは、やはり核兵器に対するスタンス、人道的側面から核兵器をなくさなければ駄目だという立場がきちんと示されているかどうか、そうした潮流が、核兵器禁止条約を始めとして、この間広がりつつあるということですね。
核兵器を持っている国々が、どのように核兵器を減らしたり、自制していくのかという動きだけではなく、そもそも必要悪ではなくて絶対悪だと、それは人道主義がベースになっているということが広がっていますよと、賛同する国が増えていますよということが、長崎の人たちにとってはやはり希望だったわけで、そうしたことを展示してほしいという趣旨ではないかなと思いました。
その側面でいうと、核兵器を実際に使ったらどうなるのかということを、詳しく解像度を高くしている人たちというのは世界にそこまで多いわけではないですから、この資料館に訪れた人たちが、核兵器を使ったらどうなるのかという、具体的な解像度が高くなったことによってそれを世界に伝えてほしい、メッセンジャーになってほしい。そうすることが、絶対悪としての核兵器廃絶を、人道的側面から核兵器はなくさないと駄目なのだという潮流を、広げていくことになるのではないか、皆さんもそのようなメッセンジャーになってください、という趣旨の文言ではないですが、そのような流れが最後の方に入っていくと、それはまさしく希望に変わっていくのではないかと私は考えました。 

【会長】
かなり多岐にわたるたくさんのご意見をいただき大変有意義な会になったのかなと思います。資料ですが昨日今日渡されて読み込んでくる時間が皆さん無いとなかなか難しいのかなと思いましたので、そのような意味で、今日の議論では必ずしも全部出尽くしているわけではないのかもしれませんが、とりあえず今日としてはご意見をいただけたということで、予定している議事についてはこれで終了してよいでしょうか。進行を返します。 

【事務局】
議事の進行ありがとうございました。次回の審議会についてですが、日程につきましては、後日調整をさせていただきます。これで、審議会を終了します。

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