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更新日:2023年10月4日 ページID:000513
(なかのちゃや)
指定年月日 昭和51年7月20日
所在地 長崎市中小島1丁目4番2号
丸山の遊女屋筑後屋が、茶屋を設けていたところで、中の茶屋と呼ばれ、また、唐人は千歳窩(せんざいくわ)と名付けた。この名に因(ちな)んで、別名を千代の宿ともいい、内外の文人墨客が好んで遊び親しんだ。長崎奉行の市中巡検の際にはその休憩所にあてられることもあった。幕末期にできた俚謡(りよう)「長崎ぶらぶら節」には、「遊びに行くなら花月か中の茶屋」と読みこまれている。江戸時代中期に築かれた庭園として、市内寺院のものを除けば、数少ない遺跡の一つである。建物は、昭和46年(1971)、隣家の火災で類焼したので、昭和51年(1976)に、なるべく旧態に近く新築し復元され、利用者の便を考慮して茶室が付加された。
備考
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路面電車・バス「思案橋」下車徒歩10分
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