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現川焼陶窯跡


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ページID:0001070 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

現川焼陶窯跡 田中宗悦の墓石1基・窯観音1基(堂を含む)

(うつつがわやきとうようせき)

県指定史跡

現川焼陶窯跡

指定年月日 昭和38年5月8日

所在地 長崎市現川町521番地2・522番地2

諫早家「日新記(にっしんき)」の記録によれば、元禄4年(1691)に諫早家被官田中刑部左衛門が職務を退き、二男甚内を伴って開窯したことが記され、寛延元年(1748)頃までのおよそ60年間、焼き継がれた現川焼の陶器窯の一つである。
製品は鉄分の濃い粘土を素地に刷毛目(はけめ)技法を駆使した陶器で、各種の化粧刷毛目と舟形・隅切などの大胆な器形、それと四季折々を描いた図柄との合致した姿は「西の仁清」「刷毛目文様の極致」と賞賛されている。
窯の上には、宝永元年(1704)に建てられた窯観音があり、現川焼の創設者、田中宗悦・同甚内・重富茂兵衛等にかかわる銘が刻まれている。
刷毛目…化粧土(白絵土)を筆に含ませて器面に塗ったもの。もともとは朝鮮半島で器面を白くするための技法であったが、17世紀に日本に伝わってから意識的に装飾文様として発達した。(出典:『土と炎の里長崎のやきもの』下川達彌著(平成13年12月))

備考

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(補足)地図は目的地周辺の概ねの位置を示しています

バス「現川」下車徒歩7分