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※出典・・・『日見の史蹟等(発行:日見地区公民館運営協力委員会)』から抜粋
場所: 長崎市網場町402(旧里道の網場バス停と天満宮バス停との中間にあたるところ)
由緒と沿革: 個人の自宅で祀っていたが、しばらく放置されたときがあった。隣の人に病人が出たりしたので、改めて普請して祀ったところ、病が癒えたということがあった。崖を掘りぬいたところに祠があり、苔むしたこぢんまりとした立派な鳥居が建っている。
場所: 長崎市網場町(網場港県道脇・網場漁協の近く県道側)
由緒と沿革: 漁師さんが個人的に祀っている。見晴らしのいい場所で少々自動車騒音はうるさいが県道に背を向けてこじんまりと立っていらっしゃる。
場所: 長崎市網場町311番地(天満神社前バス停から網場側に沿って凡そ1分右に上ったところ)
由緒と沿革: 地蔵建立は嘉永3年(1850)戊5月。湧水の井戸があり、地区の住民に利用されていた。現在は元の位置より10mほど下った場所に建っている。当地の地名については、江戸期は、山手集落を「岡」と云い、鋼に因んで金ヶ岡とよばれるようになったと思われる。
場所: 長崎市網場町(天満神社バス停から凡そ2分・天満宮神社の北西側崖下・網場川側)
由緒と沿革: 不明